2012.2.19 走水神社
シニアネットのグループで浦賀から観音崎を散策したが、散策の最後に走水神社に立ち寄りました。
走水は「古事記」や「日本書紀」にも出てくる地名で,足柄峠を越えて相模の国に入った古代東海道は,鎌倉を経て走水に至り,ここから海路をたどって上総の国へ通じていた。走水神社はそのゆかりの地にある神社であり、社務所でもらったパンフレットには次のようなことが記されていた。
景行天皇の御代,東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は,古代東海道をたどって来たり走水から船で上総へ渡ろうとしたが,暴風雨に阻まれ,立ち往生してしまった。このとき,同行してきた弟橘媛(オトタチバナヒメ)がみずから入水して海神の怒りを鎮め,航海の安全を図ったという伝説にちなんで創建された古社である。 |
2012.2.11 高尾山
数年ぶりに妻と高尾山へ登った。山登りと言うにはおこがましいような標高599mの山だが、都心から近いので冬の寒い時期にもかかわらず大勢の人で賑わっている。大方の人はケーブルカーに乗ってしまうが、下から歩いて行く人は軽登山靴を履いている。高尾山山頂を過ぎて城山へ向かうと、人は大分少なくなり、先日降った雪が残っていて登山道はぐちゃぐちゃの泥道。
城山山頂は広くなっていて眺めの良い所なのだが、あいにく富士山方向は雲がかかっていて富士山は見えないが丹沢山塊の山がよく見える。下りは泥道でうっかり足を滑らそうものなら大変なことになるので慎重にゆっくり下って4時間余のハイキングを終えた。 |
2012.2.8 横溝屋敷
鶴見区獅子ヶ谷町にある「旧横溝家住宅」へ行ってきました。長屋門をくぐると、昔話に出てくるような懐かしい建物が迎えてくれます。表門(長屋門)、主屋などの門構えが江戸時代の農村生活の原風景を残している。横溝家は、16世紀末の慶長年間から獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた家であり、昭和61年に表門、主屋、蚕小屋、文庫蔵、穀蔵の5棟の建物が横浜市に寄贈され、横浜市では建物の修復工事を行って一般公開している。
この日は先生に引率された社会見学の小学生が建物や農機具などを見学していて、先生も一緒になって物珍しげに見ていました。
屋敷の中をのんびり歩きながら、江戸時代の風景を想像しながらその風情に慕ったひと時でありました。 |
2012.2.5 猪十六丼
房総の小江戸といわれる大多喜へ出かけました。大多喜駅前の観光案内所の駐車場に車を停めて街中を散策。夷隅神社では毎月5と10の日に朝市をやっていて、農家が境内に店を出している。外房総の海が近いので魚介類も並んでいる。
駅前の「番所」という名の食事処に入ってみたら、猪十六丼(ししじゅうろくどん)を勧められた。 見た目は豚肉に似ているが、脂が乗っているにも関わらず意外とアッサリしている。ワサビやネギのヤクミ、あとは卵と合わせるなど何通りもの味わい方を楽しむ事ができる一品だと店主がが説明するとおりに、まず最初はそのまま、次にワサビやネギのヤクミを添えて、続いて卵にお肉を漬けて、最後に卵を丼に入れて食べてみたらとても美味でした。
ここの店主は数年前まで観光用の人力車を曳いていたが、勧める人があってこの店を始めたそうである。 |
2012.2.4 愛宕神社
日本テレビの人気番組「笑点」の公開録画の招待券を友人からもらったので見に出かけた。歌丸、円楽、小遊三、昇太らの大喜利はテレビでは味わえない面白さがあって楽しかった。
終えてから、地下鉄で御成門まで行き愛宕神社へ。曲垣平九郎が馬に乗って駆け上がった男坂の石段はものすごい急勾配で、下りの方が危険なので手すりにつかまりながら下ったが、手すりは皆が手を触れるのでピカピカでした。
この後、芝増上寺へ寄って、50歳で早世した妻の親友のお墓参りをしてきた一日でありました。 |
2012.2.3 神奈川宿
東海道五十三次 江戸から3番目の宿場神奈川宿は現在の神奈川区神奈川本町付近です。この付近には当時の面影を残す地がいくつかあるので、それらを巡ってみた。
京浜急行の神奈川駅近くの本覚寺は、横浜開港後3日目から約5年間アメリカ領事館として使われていた。境内の松の木の枝を落とし、木の上に星条旗が掲げられていたといわれている。
この後、JR東神奈川駅近くの宿場には欠かせないものであった「高札場」と勝海舟が建設の技術指導をしたといわれている「神奈川台場跡」を見て、2時間半の朝の自転車散歩でありました。 自転車ナビのモードを「細街路優先」にセットしたら、ナビは幹線道路を避けて自動車の少ない道を案内してくれました。 |
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