文の日の投稿(2019/2/23)

 
キリマンジャロ
 還暦を迎えた2003年10月にキリマンジャロに登った。翌年3月に会社の定年退職を控えて勤務先会社の山仲間と5人で登ったもので、いわば卒業記念の山登りでもあった。
                
 キリマンジャロはタンザニアに聳える標高5895mの山でアフリカ大陸最高峰であり、7大陸最高峰の一っに数えられている。でも、この山に登るのに特別の登山技術は必要でなく普通の体力があれば誰でも登れる。登山者1人について2人のポーターを雇うことが義務付けられていて、登山荷物は全てポーターが持ってくれ登山者が背負うのは雨具と水・非常食を入れた小さなデイバッグで、まるで街中を散策するような荷物だ。そうは言ってもここには高山病という大敵がある。登頂を果たせない人のほとんどは高山病によるものだそうだ。
                     
 入山して3日目に山頂までの標高差1200mの山小屋(4700m)に泊り、翌日深夜0時に出発した'山頂アタックはヘッドランプの灯りを頼りに砂礫の急坂の登りであり高山病との闘いでもあった。
 キリマンジャロの山頂には大きな火口がありその縁がギルマンズポイント(5682m)である。ここで東の空が明るくなってオレンジ色に輝く朝日が上がってきた。ここまで登ると高山病はいよいよ激しくなり、一言で言うとお酒を飲んだ翌日の二日酔いと船酔いが同時にやってきたようで頭はボーとしている。
                    
 ギルマンズポイントからは火口の縁を行く比較的幅広い緩やかな傾斜の道で、標高差200mを登って最高所5895mのウフルピークに着いた。もう、これより上はないアフリカ大陸のテッペンだ。
  山頂で見た光景は忘れられない。遮るものが何もない見渡す限りの雲海で、その上に上がったオレンジ色の朝日が神秘的で神々しい。そして、ヘミングウェイが短編小説「キリマンジャロの雪」で豹の屍が眠っていると書いている山頂の氷河が大きい。アフリカ大陸最高所の眺めを満喫しながらここに至るまでの道のりを振り返ると感慨無量だ。

 登りに3日半かかった道をわずか1日半で登山口マラングゲートまで下って、メンバー全員がキリマンジャロ登頂を果たした。
 この後、マラングゲートの一室で我々5人とガイド・ポーターの総勢18人での下山後のセレモニーがあって、先ずチーフガイドのエリアから一人ずつ登頂証明書が交付された。証明書には「CERTIFI No. 5066/2003」と書かれていて、私はこの年5066番目の登頂者であった。
 それから、全員で記念撮影をしてからキリマンジャロビールで乾杯した。そのうちにサブガイドのロメルの音頭でガイドとポーターが手拍子を打ちながら歌い出した。現地語スワヒリ語なので意味は分からないが、「キリマンジャロ」という語が何度も出てくる。私も手拍子を打ちながらその部分だけ声を出していた。見れば他の4人も歌っていた。





















































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