門  西  家


( 山梨県身延町  平成26年9月3日 )


門西家の全景

 門西(もんざい)家は室町時代からこの地に土着した郷士や地侍的な家柄で、湯之奥代官や関守、金山や山林の管理、名主などを務めていた。
 現在の建物は江戸時代中期に建てられたと推定されるもので、入母屋、茅葺、桁行14.67m、梁間9.19m、富士川流域の入母屋造りの農家建物であり、柱、梁、桁などは太く大きな部材が使用され仕上げが荒削りなところから格式が高いもので、国の重要文化財に登録されている。




寄棟造りの茅葺き屋根





 この付近では戦国期から近世初頭にかけて金が採掘されていた。いくつかの集落があったが、資源の枯渇により元禄年間(1600年代末)には閉山し集落もなくなったが、湯之奥の集落だけが現在に残っている。
 門西家は、金山や山林の管理をしていた家で、代々名主を勤めてきた家である。建築年代を明らかにする資料はないが、建築の手法から江戸時代中期とみられている。




入り口


しめ縄が架かっている


 内部は向って左1/3は土間で竈や水屋などが置かれている作業場として利用され正面中央1/3は日常生活が営まれ、「あがりば」、「だいどころ(囲炉裏付)」の2室で共に板の間となっている。
 向って右1/3が接客の場で「ざしき」、「おくのま」、「なんど」の3室で構成され全て畳敷きになっている。門西家住宅は間取りや天井、床などの変更が見られるものの、主要構造部は建築当時の姿を留めいる。


間取り




「ざしき」、「おくのま」、「なんど」






太い梁




釿(ちょうな)で削った大黒柱






 何代目になるのかこの家の当主が家の中を案内してくれた。
 現在も居住していて夏は涼しいが冬場は寒いので裏の新しい家に住んでいるとのこと。そして、入母屋造りの茅葺屋根は20年毎に葺き替えるが、職人の確保と茅の入手も大変らしい。そして、国の重要文化財に指定されているので家の改築等は届け出なければならないとも言っていました。



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