甘 草 屋 敷


( 山梨県塩山市  平成28年7月21日 )

 高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれていて、国の重要文化財に指定されている。
 8代将軍徳川吉宗治世の享保5年(1720)、幕府の採薬使丹羽正伯が高野家屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡されるとともに、一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、以後同家が栽培する甘草は、幕府官営の薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うことになった。




主屋の全景







 住宅は19世紀初頭に建てられたものであり、桁行十三間半(24.8m)、梁間六間(10.9m)あり、屋根は大棟を東西に通した切妻造、茅葺き(現在は銅板葺き)、南面中央部に2段の突き上げ屋根を設けた大型民家です。屋根を支える柱は高く棟まで通る棟持柱で、これに梁を重ねて渡した間に見せ貫を通し漆喰塗とした妻璧の構造は、優れた美観を呈しています。この棟持柱は、同じく茅葺切妻造民家である「大和棟」や「合掌造」にはみられない、甲州地方独特のものです。




座 敷



仏 間   床の間



2階への階段と巨大な大黒柱





 昭和35年の修理で、保存のため茅葺から銅板葺に改められています。平成8年7月には、旧高野家住宅の附属屋五棟(巽蔵・馬屋・東門・文庫蔵・小屋)が、当家の幕末から明治初頭にかけての屋敷構えを今日に伝えるものとして、附(つけたり)指定の三棟(地実棚・裏門・座敷門)および宅地(井戸・池・石橋・石垣を含む4,932.07m2)とともに、重要文化財の追加指定を受けました。






主屋の東側壁面




正面入り口



3層の屋根 前庭に甘草が植えてある


甘草とは
 甘草(かんぞう)は甘味料や調味用として繁用される一方、薬用としても広く用いられ、重要な生薬でもあります。甘草には、Glycyrrhza uralensis(ウラルカンゾウ 生薬名・東北甘草)、G.glabra(西北甘草)、G.inflata(新疆甘草)などがあり、日本では年間約10,000トンが中国・旧ソ連・アフガニスタンなどから輪人されています。
 このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、残り3分の1が薬用にされますが、成分は根およぴストロン(根茎)に含まれるグリチルリチンです。食品としては、醤油・味噌・せんべい・チョコレート・塩辛など、多種多様の品目に使われています。薬用では主に漢方薬の原料として、厚生省指定漢方処方210品目中150処方(71%)に配合され、最も多用されている原料です。


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