山 十 邸


( 神奈川県愛川町  平成29年7月7日 )

 山十邸はこの地方の豪農だった熊坂家の住居として、明治初期、熊坂半兵衛によって建てられた。「山十(やまじゅう)」は熊坂家の屋号である。
 愛川町はその建物と庭園を修復、保存し、「古民家山十邸」として一般に公開していて、国の重要文化財に登録されている。




薬井門



式台が付いた主屋の玄関


 山十邸の建物は堂々とした立派なものであり、半原の宮大工、矢内家の右仲、左仲、左文治の三兄弟によって建てられたものである。ケヤキ材を使った入母屋造り、茅葺屋根の多かった時代には珍しく瓦葺で、細部に渡って当時の宮大工の技術が活かされている。
 十五畳の奥座敷をはじめ、十畳を超える広さの部屋が6室、書院などを設けた座敷の造りは格調高いもので、当時の豪農の暮らしぶりが偲ばれ、囲炉裏を置いた一画や土間などにも当時の豪農の暮らしぶりが想像できる。




主屋の入り口




15畳の奥座敷とそれに続く座敷



書院造りの座敷の床の間







縁  側








 庭にはさまざまな樹木が植えられ建物の周りは緑濃い。奥座敷の前には枯山水の庭園が往時のままに残されている。庭園の隅には見事な百日紅の木が植えてある。
 東側の庭には井戸が残されていて、南側には蔵も建っている。往時には米蔵が2棟、物置2棟、馬屋があったそうである。



庭につるべ井戸が残っている




東側から見た主屋







 山十邸の建物は昭和19年に熊坂家から大川周明の所有になり、大川の晩年の住居として使われていた。
 大川周明は戦前の思想家として知られいて、東京裁判では「A級戦犯」として起訴されている。精神障害を理由に免訴されて、戦後はコーラン全文翻訳や農村復興などに取り組んでいたが、昭和32年にこの山十邸で生涯を終えている。
 


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