( 小田原市 平成29年10月11日 )
清閑亭は、軍師として名高い黒田官兵衛の末裔である黒田長成侯爵が、小田原城三の丸土塁に明治末期に建築したものです。明治時代の別邸建築として貴重なものであることから、国登録有形文化財と国の史跡に指定されています |
黒田長成侯爵 軍師として名高い黒田官兵衛の直系の子孫であり、筑前福岡藩主の長男として生まれたが明治維新後に上京し明治20年にケンブリッジ大学を卒業した。その後貴族院議員を務め、東京赤坂の本邸のほかに、小田原・福岡・沼津に別邸を構えていた。 |
数寄屋造りの玄関は二方に縦格子の連子窓(れんじまど)が設えてあり、生きた節が残る腰板、船底型の天井などが施されている。 玄関の間の天井板には屋久杉が使われ、廊下にの3本の柱には栂の四方柾(しほうまさ)が使われている。 |
清閑亭の辺りは「天神山」と呼ばれていて、箱根から延びてきた尾根の先端に位置している。邸宅の2階からは真鶴半島や大島などの相模湾が一望できる。 |
庭に出る大きな沓脱石(つぬぎいし)は、近くを流れる早川の上流・箱根山系の石が使われている。建物のぐるりを石敷きの犬走(いぬばしり)が施され、基礎は土台敷きと呼ばれ通風に優れている。 |
この二間続きの座敷が清閑亭の中心であり、天井の竿縁は独特の面取りが施された猿頬(さるほお)天井である。 座敷と次の間の地袋には金銀一対の表装になっている。 |
一間半の床の間を縦繁(たてしげ)の障子が外の明かりを引き立たせている。 |