鴇 田 家


( 千葉県習志野市  平成28年7月1日 )


 鴇田(ときた)家の住宅は、江戸時代中期 8代将軍徳川吉宗の享保13年(1727)に建築された。
 建物の形は、曲屋(まがりや)であり、平面形がL字形の民家で、東北地方から茨城県にかけて主に分布している。特に南部地方(岩手県中北部・青森県南部)の南部曲屋が有名であるが、関東地方では現存する例が少ない珍しい形状です。

 この家は、当初東金街道沿いに建築され、江戸時代に実籾(みもみ)村の名主を務めた鴇田家の屋敷であり、実際に鴇田家の住まいとして平成3年まで使われていた。平成12年に鴇田家から習志野市に寄贈され、現在の地に建築当初の姿で移築復元されたものであり、千葉県の有形文化財に指定されています。





 鴇田家住宅の床面積は100坪近くあり(321.35u)、名主の家にふさわしい、たいへん規模が大きな民家である。また、名主の家という公的な性格は規模以外にも、玄関の造りや共待部屋(ともまちべや)の存在などに表れています。
建物の規模

茅葺き平屋建て寄棟造り

床面積 315.70u

主屋 桁行 20.0u 梁間 11.0u

土間 桁行 9.4u 梁間 8.2u

棟高 10.3m
  (礎石上端から棟木上端まで)


         (習志野市HPから)





土間のたたき



土間を上がった部屋



土間を上がった部屋



土間の梁 (二重梁)




奥の間と次の間の縁側



奥の間と次の間




奥の間の脇にある厠の手洗い




奥の間から庭を

 庭には、水琴窟が造られている。水琴窟は、蹲踞(つくばい)や手水鉢(ちょうずばち)の下に、庭に小さな穴を開けた甕(かめ)を伏せて埋めていて、蹲踞などから流れ落ちた水が甕の穴から底に滴り落ち、その音が甕の中で反響して、琴のような音色になります。


水琴窟を奏でるつくばい







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