( 埼玉県深谷市 平成29年9月10日 )
渋沢家は代々農業を営んでいたが名字帯刀を許され大変裕福であった。天保11年(1840)に「近代日本資本主義経済の父」とも呼ばれる渋沢栄一は、ここ現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)で生まれた。 |
現在の主屋は、渋沢栄一の兄が明治28年に建てたものであり、梁間5間、桁行9間の切妻造りの2階建てで、西側に3間×3間の平屋部分を持っている。 屋根に「煙出し」と呼ばれる天窓がある典型的な養蚕農家の造りになっている。 |
渋沢栄一は多忙の合間も時間を作って年に数回はこの家に帰郷した。奥の座敷は、帰郷する栄一のために特に念入りに造らせたと言われている。 |
渋沢邸は「中の家」(なかんち)と呼ばれていて、渋沢一族の分家の位置関係を示している。つまり、中心にあるという意か? 「ここの家=ここんち」「隣の家=となりんち」など、「〜ち」と言うのは、埼玉県北部の方言です。 |