出 水 麓


 薩摩藩(島津藩)は、鶴丸城を本城とし、領内各地に外城(とじょう)と呼ばれる行政区画を設け統治に当たっていて、外城における統治の中心地を麓(ふもと)と呼びました。
 鹿児島県出水市の麓町は、そんな外城の一つであり、南九州市知覧、薩摩川内市入来とともに国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
     ( 平成24年4月26日訪れる )





 出水麓(いずみふもと)は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅地として、山城である出水城の丘陵地帯を整地して造られた所です。その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、第3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかった。出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれている。

 出水は、肥後(熊本県)と薩摩の国境の地として、藩の防衛上重要な地であることと、一国一城制度下の薩摩藩の外城制度により、出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ、藩境いの防衛の任に当たらせていた。
















 出水麓の武家屋敷とそのまち並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、整然とした趣と閑静な佇まいを感じさせてくれました。






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