彦根 河原町・芹町


( 滋賀県彦根市  平成29年7月20日 )

 彦根城下町の南東部の河原町・芹町地区は、慶長9年(1604)から始まった彦根城の築城に伴って新たな城下町の建設に起源を有し、城下町内外の人々が集まる繁華街として栄えた伝統的なまちなみを残している。
 彦根城下町は、大規模な土木工事によって計画的に造られた町で、建設前は多くの渕や沼のある湿潤な土地が広がっていた。城下町の建設は、現在の安清町付近から北上して善利川を、約2キロメートルにわたって現在の河道に付け替えるなど大規模に行われた。
 この地区をつらぬく道は、計画的に整備された直線の道とは異なり緩やかに屈曲しているが、これは、城下町建設のため芹川沿いの旧道を埋め立てて地割したことによっている。
 この地区は、平成28年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。さらに、地区内には4棟の国の登録有形文化財があっていずれの建物も現在も居住されたり店舗として使われている。




緩やかにカーブしている





 河原町芹町のまちなみは、城下町の開発が中心部から縁辺部におよび、 在来の通りに沿って造ものであり、通りも自然地形に沿うように屈曲している。この屈曲が城下町中心部の直線道路によって整然と計画的に区画された景観とは異なった町並みを造っていて、現在も往時の町割りを留めている。また、表通りには約20本の小路が取りついていて、小路は、表通りと十字路で交差することなく、いずれもT字路で表通りに突き当たっている。






小  路



森家住宅主屋   (国の登録有形文化財)
 江戸時代後期に建てられた建物で、1階は幅半間の下屋庇として1間の表口を構え東側には平格子を入れてある。軒先は垂木まで塗り籠め、2階には虫籠窓(むしこまど)と袖壁が設けられている。







2階には袖壁を設えてある






1階の格子と2階の虫籠窓と軒裏の塗り込め



町並みを自転車で行く小学校の女の子



石橋家住宅主屋 (国の登録有形文化財)
 江戸時代後期に建てられた建物であり、入母屋造り・瓦葺き・平入で間口7間半、奥行2間の建物で、平屋の玄関棟と住居棟が接続する造りである。






 伝統的建物の他に、洋風の意匠を持つ近代的建物もあり、これらは、伝統的建物の棟高を大きく逸脱せずに、まちなみ景観の構成するひとつの要素となっている。

高崎家 (国の登録有形文化財)
 昭和9年に木造2階建て瓦葺き切妻造りの町家であったが、その後、河原町郵便局舎への転用に伴い前面が洋風の外観に改造された。




 滋賀中央信用金庫 大正7年建築  ( 国の登録有形文化財 )
 交差点に面した角地を斜めに切り取って正面にし腰折れ屋根の形の波風をつけ、左右の道に面した西面と南面にも千鳥波風の屋根がついている。





( この後、彦根城へ向かった )



彦 根 城 

 彦根城は琵琶湖畔の小高い丘の彦根山(金亀山、標高136m)に築かれた城であり、江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が居城としていた。天守が犬山城、松本城、姫路城、松江城と共に国宝に指定さていて、日本5大城に数えられている。
 明治時代初期の廃城令により全国の城が次々と取り壊されていく中、大隈重信が視察に来た際その取り壊しを惜しみ、明治天皇に上奏して取り壊しを免れたと言われている。


天守閣は3階3重の屋根で造られている





壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、緊迫の飾り金具が施されている



表門山道に架かる橋と天秤櫓



  
天守閣の中の廊下と窓                  牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる石垣


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