蒲 原 宿


 蒲原は、古来宿駅として発展し蒲原郷と呼ばれていました。江戸時代には東海道53次蒲原宿として本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠45軒、かご屋100人余りがいて大変栄えたと言われています。  今、その当時の面影はないが、わずかに往時を偲ばせる建物が残っています。

( 静岡市清水区蒲原町   平成27年12月16日 )



旅籠「和泉屋」(鈴木家)   国登録有形文化財
 天保年間(1830年代)に建てられた建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。今に残る2階の櫛形の手すりや看板かけ、柱から突き出た腕木など江戸時代の旅籠の面影が表れています。
 弘化2年(1845)の蒲原宿商売調べ帳には、「和泉屋間口間数六・一」とあり、現在は鈴木家4.1間、お休み処2間の2軒に仕切られています。






佐藤家  元は佐野屋という屋号の商家でした。 壁は塗り壁で町屋に多く見られる造りであり、このような町屋を「塗り家造り」と言います。 塗り家造りは、もともとは城郭などに用いられた技術であり、土蔵造りに比べて壁の厚みは薄いが防火性が高く贅沢普請とも言われています。
 なまこ壁の白と黒のコントラストが鮮やかで、この界隈では珍しい寄棟の屋根と調和しています。




格子戸の家(増田家)  格子戸は平安時代に考えられた建具で伝統的な日本の建築工法です。細い角木を縦横に組んで窓や出入り口に取り付けるが、組子の組み方は幾種類かあります。組子だけで吹き通しのものや面に板を張るものなど気候風土に合わせた工夫がなされています。
 かっては、街道沿いに磨きこまれた美しい木目の格子戸の家並みが続いていたそうです。




お休み処




 蒲原夜之雪  蒲原夜の雪の絵は、安藤広重が天保3年(1832)4月に幕府の朝廷への献上使節の一行と共に京へ上ったときに、蒲原で描いたもので東海道53次シリーズの中でも最高傑作を言われています。
 広重がこの絵を描いたと言われている所に記念碑が建っていましたが、この時代には4月にこんなに雪が降っていたのだろうか。

 


古い街並みINDEXへ