勝  沼


 江戸時代の五街道のうちの一つ甲州街道の江戸から36番目の宿が勝沼宿。
 勝沼宿は、芭蕉の句「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」とあるように、ぶどうの里として江戸にも知れ渡っていて繁栄を極めていた。その名残りが現在でもわずかに残っていました。
  ( 山梨県甲州市  平成27年4月9日 )


 宿場の緩い下り坂の両側には、当時を偲ばせる木造の建物が残っているが、その一つが格子戸をはめ込んだ2階建ての仲松屋。この建物は江戸時代後期のもので、整然とした格子戸が美しい。





 旧田中銀行
 この洋風建築の建物は、明治30年代前半に勝沼郵便電信局として建てられた建物で、その後大正9年から昭和7年頃まで山梨田中銀行の社屋として使用されていた。外壁の砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、2階のバルコニー、引き上げ窓などに当時の洋風建築の名残りがある。
 その後、第二次世界大戦中は北白川宮が疎開していたと、ボランティアガイドが説明してくれました。





田中銀行の土蔵造りの金庫




田中銀行の近くにあった朽ちた倉庫
(明治20年頃に建てられた地上3階、地下1階の土蔵造り)






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