越後下関は江戸時代、米沢から新発田城下・村上城下に通じる米沢街道沿いの宿場町で、荒川舟運の拠点として栄えた。下関を流れる荒川が出羽米沢藩領と日本海を結ぶ重要な流通路だったので、村上藩は下関に口留番所を設け、武器の出入り、鉛や煙硝の他国移出、米・塩・材木などの舟運を取り締まっていた。 現在、関川村役場前の大通りを挟んで国指定重要文化財の渡邉家がありその左隣に県指定文化財の津野家、さらにその左隣に国指定重要文化財の佐藤家。そして渡邉家の右隣には村指定文化財の東桂苑の四ツの指定文化財が約400mほどの間に並んでいる。 渡邉家・佐藤家・津野家は共に撞木造りと云われる建て方で、通りに面しては平入りの棟と妻入りの棟が建っている。 (新潟県関川村 平成26年8月20日) |