小  幡

 JR高崎駅から上信電鉄に乗って30分、着いた所が上州福島駅。ここから小幡までは3キロほどだが、バスの便はなくタクシーも客待ちしていない。歩いても40分程だが、駅のレンタサイクルで15分程走ると小幡に着いた。

( 群馬県甘楽郡甘楽町   平成27年12月10日 )



 小幡は小幡藩二万石の城下であった。織田信長の次男信雄(のぶかつ)は元和元年(1615)に上野小幡2万石を与えられた。最初、福島(現甘楽町福島)に陣屋を置いたが、小幡の風景と要害に着目し水を引いて城を築いた。
 以来150年にわたり織田家はこの地を治めたが、明和4年(1767)藩主織田信邦が蟄居処分を受けた。代わって松平忠恒が入封し、以後明治維新まで松平家が統治した。
 今、当時の建物はあまり残っていないが小幡の南側に武家屋敷が残っている。、中小路と呼ばれる広い通りや喰い違い郭(くるわ)が当時の面影を偲ばせてくれている。


武家屋敷への入り口



小幡藩主が通った道幅14mの中小路



高橋家の長屋門



高橋家の長屋門



喰い違い郭 戦のときに防衛上のために造られたが、
下級武士が上級武士に出会うのを避けるために隠れたとの説もある



 武家屋敷が残っている中小路からほんの少し北へ行った所が町人町。雄川堰(おがわぜき)沿いに、往時を偲ぶ妻入りの町屋や蔵が建ち並んでいる。その多くは養蚕が盛んだった明治から大正時代に建てられたもので、雄川堰沿いの桜並木と相まってとても良い景観を見せている。桜の咲く頃にはもっと良いだろう。

明治時代中期に建てられた養蚕農家群の町並み



なまこ壁の蔵



つるべが付いた水汲み場



信州屋(明治時代後期の建物)



小学生が養蚕農家群の町並みを見学していました


 小幡の町を南北に流れる雄川堰(おがわぜき)は古くから住民の生活用水や灌漑用水として多目的に利用されている。堰は大堰と小堰があり、養蚕農家群の脇を流れるのは小堰。 最近はあまり見られなくなったが、ときには「芋車」が回っていることがあると、通りがかりのお婆さんが言っていました。




甘楽町観光案内の会の手書きの案内板には次のよう書いてありました。

 
芋車は江戸時代から住民の智慧で雄川用水の流れを利用し、里芋・じゃが芋・人参等の野菜を洗い、毎日の食生活に利用していた。 


   


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