秋田藩の支藩の城下町だった角館は、270年余り前の「町割り絵図」と現在が重なり合う。かって「火除け」と呼ばれた所を境に、北側が武家町(内町)、南側が町人町(外町)と区分されていた。その区分は今なお変わらず、武家町は道幅から曲り角まで当時のままに残っている。 この町並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。 |
角館の今に続く町並みをつくったのは芦名(あしな)氏で、江戸時代のはじめ1620年(元和6年)のことであり、その後は佐竹北家の城下町として栄えた。 玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。 |
町は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分され、外町で火災が発生した時に内町に引火しないように、火除けを設けたと云われています。 更に土塁の真ん中には木戸門を設けており夜になると閉めていたようであり、火災だけではなく、不審者を侵入させない効果もあったようです。 |
春には、武家屋敷の通りは枝垂れ桜の道になり多くの観光客で賑わう。 武家屋敷の通りのシダレザクラは、今からおよそ350年ほど前の藩政時代に角館佐竹家の2代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家の嫁入り道具の中に、3本の桜の苗木があった。その苗木が始まりとされていて、樹齢300年を超えるシダレザクラもあります。 (この写真は、平成23年春に妻が撮ったものです。) |