湯 之 奥


( 平成26年9月3日訪れる )

 山梨県南部 身延町の下部温泉から山あいに入った所に湯之奥という集落があり、江戸時代に金を採掘していた。
 湯之奥という地名は、下部温泉の湯の奥にあるに由来している。
 
 甲府から乗った身延線を下部温泉駅で降りて、タクシーに乗って20分、降りた所が戸数わずか10数戸の湯之奥の集落。
 人の気配がない静かな集落だ。石畳の細い道を上って行くと2人のおばあさんが道端で井戸端会議ならぬ道端会議。
 目指す門西(もんざい)家はすぐに分かった。


門西家

 この付近では戦国期から近世初頭にかけて金が採掘されていた。いくつかの集落があったが、資源の枯渇により元禄年間(1600年代末)には閉山し集落もなくなったが、湯之奥の集落だけが現在に残っている。
 門西家は、金山や山林の管理をしていた家で、代々名主を勤めてきた家である。建築年代を明らかにする資料はないが、建築の手法から江戸時代中期とみられている。

 
 
 
 
 
 

 何代目になるのかこの家の当主が家の中を案内してくれた。
 現在も居住していて夏は涼しいが冬場は寒いので裏の新しい家に住んでいるとのこと。
 入母屋造りの茅葺屋根は20年毎に葺き替えるが、職人の確保と茅の入手も大変らしい。そして、国の重要文化財に指定されているので家の改築等は届け出なければならないとも言っていました。
    

  
 
 

   門西家を見てから集落の上の湯之奥神社など湯之奥の集落を一巡りして元の所に戻ると、前記道端会議のおばあさんが未だ話し込んでいる。さらに一人増えている。
 2人は農作業の背負いかごを脇に置いていて、1人はこの集落の人らしからぬ服装をしている。「私は歳をとったからもう農作業は出来ない」と言う。「20歳で嫁に来てもう70年になってしまった」と言っていたが、とても90歳とは思えない。
 若い人は皆街へ出ていってしまってこの集落は老人ばかりになってしまった。週に一回生協の車が移動販売にやって来る。
 付近にはかっては家が建っていた空地がそこかしこにあり、まさに限界集落である。
 

   
 
 

 山梨県には「信玄の隠し湯」と称される温泉が各地にあるが、そのうちの一つ「下部温泉」へ寄ってみた。近年の他の温泉街と同様に活気がない。平日の日中ということもあり、人の通りがない。
 武田信玄が川中島の合戦で上杉謙信から受けた傷を癒したと伝えられている下部温泉は、弱アルカリ性のやや温めの温泉でありました。   


下部温泉の旅館街


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