石 廊 崎

 伊豆半島の最南端 相模灘と遠州灘の波濤を受けた切り立った断崖の上に明治4(1871)年に建設された石廊崎灯台が立っている。灯台からほんの少し南へ行った所がまさに伊豆半島の最南端。断崖上からは伊豆大島や神子元島、さらに新島、三宅島、御蔵島などの伊豆七島を一望する雄大なパノラマが広がっている筈なのだが、海に霞みがかかっていて神子元島がかすかにしか見えないのが残念だ。
         (平成23年6月30日)

 この険しく切り立った断崖絶壁の小さなくぼみに石室神社があって、海上安全や縁結び・商売繁盛・交通安全・厄除けの神様が祀られている。
 その起源はあきらかではないが、5世紀ごろ石室山金剛院として建立されたのが始まりだといわれている。 日本に帰化した秦の始皇帝5世の孫、弓月君(ゆつきのきみ)の日本での功績から物忌奈之命(ものいみなのみこと)と命名され、物忌奈之命を祀る神社として子孫の秦氏によって建立されたと伝えられている。 また、江戸時代に石廊崎沖で嵐にあった千石船の帆柱が権現のご加護で救われたお礼に奉納されているそうだ。
 なお、この神社は「石室神社」と書いて「いろうじんじゃ」と読むそうです。



石廊崎港に建つ役の行者
 石廊崎の漁港に大きな「役の行者」の像があります。昔、役小角という行者が石廊崎の断崖で修行をしており「この岬は難所だ吾を祭って守護を受けよ」と神のご神託を受け権現様になったといわれている。
 天智天皇の6年に大和国葛木上郡茅原村に生まれ、頭の上に小さな角が生えていたので役の小角(おづぬ)と呼ばれ神童と称せられた。山伏と仏法の修行をして奥義を極め孔雀の妖術を習得して知者と目された。のちに韓国連広足(からのくにむらじひろたり)は小角の超人的な妖術を恐れて、妖術で人を惑わし葛木の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)と結んで天皇を傾けようとしたと讒言(ざんげん)され、その後南伊豆へ流された。
   


関東近県散策のページへ