( 静岡県掛川市 平成29年4月5日 )
現在の掛川城より東に約500mの所にあった古掛川城は、戦国時代の文亀元年(1501)駿河の守護大名今川義忠が、遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰弘に築かせたと言われている。 桶狭間の戦1560)で今川義元が織田信長に倒されると、永禄12年(1569)徳川家康に攻められ開城してしまい、家康領有後重臣石川家成が甲斐の武田氏の侵攻を防いだ。 天正18年(1590)全国平定を達成した豊臣秀吉は徳川家康を関東に移し、掛川城には山内一豊が入り天守閣を築いた。 その後、江戸時代には徳川親藩の松平氏など11の大名の居城として栄え明治維新まで続いた。 |
石落し(いしおとし) 天守台の張り出し部に設けられていて、石を落としたり槍を突き出したりして、石垣を上ってくる敵を攻撃する施設 |
霧吹き井戸 永禄11年(1568)から12年にかけて徳川家康は今川氏が立て籠もっている掛川城を攻めた。この時、井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説がある。 |
|
掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設である。御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物であり、現存する城郭御殿としては京都二条城など全国でも4ヶ所しかない建物です。 |
書院造と呼ばれる建築様式で畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋はふすまによって仕切られています。当初は本丸にも御殿があったが、老朽化したり災害にあって二の丸に移りました。 |
安政元年(1854)安政の大地震で御殿が倒壊したため、6年の歳月をかけて文久元年(1861)に再建されたのが現在の御殿で、明治元年(1868)までの間、掛川藩で使われていました。 |
その後、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる建物として、昭和47年から50年まで保存修理が行われ、昭和55年に国の重要文化財に指定されました。 |