旧吉田茂邸

 小学校時代に二宮に住んでいて、3年生か4年生の時に遠足で大磯の高麗山(現在は湘南平と呼ばれている)に二宮から歩いて行ったことがある。この頃の小学生は足が達者だった。
 大磯の駅が近くなった所に樹々に囲まれた大きな屋敷があり、入り口の門に制服の警察官が立っている。先生が「吉田茂首相の屋敷だ」と教えてくれた。今から60数年前の話である。



( 神奈川県大磯町  平成29年1月27日 )


 大磯駅前からバスに乗って10数分、木立ちに囲まれた旧吉田茂邸前でバスを下車。吉田茂邸はは広大であり、入り口から100メートル程進むと立派な門が建っている。
 この門はサンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられので「講話条約門」と呼ばれて、形が兜のようなので「兜門」とも呼ばれています。この建物は先年の吉田邸の火災での焼失を免れた建物です。




内側から見た兜門 白梅がきれいだった




 吉田御殿とも呼ばれた吉田邸は平成21年に火災で焼失した。日本庭園を見下ろすように少し小高い所に吉田邸が再建中です。
 火災で焼けてしまった総檜数寄屋造りの本邸は、政財界の要人や諸外国からの賓客を迎えた建物でした。





再建中の本邸はほぼ完成している




 吉田茂は、晩年にはトレードマークになったステッキを手にして毎日この庭園を散歩していたそうです。




七賢堂
 元々は伊藤博文の別荘にあり、明治維新の元勲、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文を祀った五賢堂だったが、その後吉田茂邸に移築し、西園寺公望を加えて六賢堂となった。その後、吉田茂の死後、佐藤栄作が吉田茂も加え七賢堂となりました。
 この建物は平成21年の火災での焼失を免れた建物です。





 七賢堂の脇の緩い坂を上がって行くと右手にステッキ、左手に葉巻を持った吉田茂の銅像が立っている。
 相模湾を背にしているが、目は東の方向、日米講話条約締結の地サンフランシスコと首都ワシントンの方を向いているのだそうです。




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