日 枝 大 神 社


( 川崎市川崎区  平成30年5月22日 )

 日枝大神社(ひえいだいじんじゃ)は川崎市川崎区にある神社で、京都比叡山日吉(ひえい)神社の分霊を移し祀った歴史のある由緒ある神社です。全国に日枝神社は多くあるが、大神社を名乗るのはあまり多くはないと氏子の古老が言っていました。



 日枝大神社(ひえいだいじんじゃ)は、天暦2年(948)に第62代村上天皇の時代に京都比叡山坂本山山王権現(日吉神社)の分霊を移し祀ったもので、山王権現と号し比叡宮と称しました。
 始めは小田村の西隅に社殿がありましたが、いつの頃からか現在の処に遷座されたといわれています。旧跡地には銀杏の神木があって大正時代まで残っていたとのことです。




 江戸時代に御朱印地拾石(社寺に朱印状をもって下付した土地)があって隣村下新田村(現在の浅田町)、菅沢村(現在の鶴見区菅沢町)等の総鎮守(氏神さま)でした。
 明治維新までは、真言宗円能院が別当職でした。
 明治6年、村社に列せられて社号も日枝大神社と改められ、
      大祭日は5月15日と定められました。

 大正10年、神饌幣帛供進(国又は市町村から産物を奉献)する神社に指定されました。
 昭和20年4月15日、太平洋戦争の戦禍に罹り氏子の9割と共に焼失してしまいました。
 昭和24年、本殿を再建し、翌年に神楽殿を再建しました。
 昭和31年、現在の御社殿が完成し奉祝祭を行ってお祝いしました。 (境内の掲示より)



 社伝によると、天暦二年(948)に「日吉大社」(滋賀県大津市)より勧請と伝わっている。
 全国に約2,000社ある山王信仰(日吉・日枝・山王神社)の総本社として知られる「日吉大社」は、通称「山王権現」とも呼ばれる。猿を神使とし、比叡山の地主神である。
 最澄が比叡山上に「延暦寺」を建立した際、比叡山の地主神である「日吉大社」を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した歴史のある神社。
 その総本社「日吉大社」より勧請したため、当社は「山王権現」「比叡宮」と称されていて、小田村に鎮座し、その周辺の村一帯の総鎮守として崇敬を集めた。
 創建時は、小田村の西隅に社殿があったが、とされている。
いつの頃から村の中央である現在の所に遷座されたようだが、江戸時代には当地に遷座していたようだ。



「山王社」として記載されているのが当社で、上述のように10石の朱印地があった事と、小田村、下新田村、菅沢村の三村の総鎮守であった事が記されている。
当時の例大祭の月の申の日には、神輿渡御の際に村内旧家十二人がいずれも馬に乗り、警固供奉して三村内を巡幸したと記されており、その行列は古風を極めたものだったという。
またかつての御神体は賊によって奪われたものの、それを模したものを祀ったとある。

このように中々詳しいご由緒が記されており、三村の総鎮守として崇敬を集めたようだ。
なお、当時の別当寺は「円能院」で、現在も当社の向かいに現存している。



 この神社の宮司は鳩山家の遠戚関係に当たるため、本殿に掲げられている扁額は第53代内閣総理大臣・鳩山一郎の直筆のものである。
 こうしたこともあって、鳩山一郎の孫である、鳩山由紀夫・鳩山邦夫兄弟の政治家も選挙の際にこの神社に参拝している。
     


殿の右手に八王子社が祀られていて、その横には力石や旧鳥居の柱が置かれている。
   



 毎年5月第3土・日曜日は日枝大神社のお祭りだが、「小田の祭りは雨が降る」と言われていて、雨の日が多い。ところが、今年は晴天にめぐまれた。


纏を持った子どもを先頭にして商店街を行く


神輿の渡御




神楽殿のお神楽







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