益   子

 長野新幹線が開通する以前、国鉄信越線は碓氷峠越えを前にして機関車を替えるため全列車が横川駅で停まった。この駅で売っていた駅弁が「峠の釜めし」であり、器の釜が益子焼であった。益子焼は栃木県益子町で作られている焼き物である。
     (平成27年12月22日 栃木県芳賀郡益子町)


 小山でJR水戸線に乗り換えて20分で下館に着き、さらに真岡鉄道で40分程で着いた所が益子駅。地方へ行くと鉄道は無人駅が多いが、益子駅も無人駅だった。地方鉄道は経営が苦しくなっているのだろう。でも、駅舎はかなり立派である。

 駅前からのバス通りを15分ほど歩くと、突如町並みが一変した。緩い勾配の広い道に益子焼の窯元やお店が軒を連ねている城内坂通りである。建物はみな新しく電線も地中化されている。



 城内坂通りには何軒もの益子焼の窯元やお店が軒を連ねている。建物はみな新しく電線も地中化されている。観光シーズンから外れた年末なので観光客が少ない。それでも焼き物のお店で陶器を物色している人がいる。






陶器店の店頭に並んだ陶器




旧濱田庄司邸
 城内坂通りから少し奥まった所に「益子陶芸美術館」がある。その一画に茅葺き屋根の「旧濱田庄司邸」が建っている。
 濱田庄司は近代日本を代表する陶芸家であり、大正時代にイギリスで陶芸家として活動を開始し、帰国後1924年に益子に移住して多くの作品を作った。人間国宝にも認定されいて、陶芸家としては3人目になる文化勲章も受賞している。
 今回初めて知ったことだが、彼は川崎市高津の生まれであり、墓所は溝の口駅近くの宗隆寺にあるそうです。 




邸の脇にあった登り窯






関東近県のページINDEXへ