鹿 島 神 宮


(茨城県鹿嶋市  平成29年12月16日 )

 鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。
 古文書によれば、神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられています。近代まで「神宮」と呼ばれていたのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみで、由緒と歴史の長さでは別格の存在。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮で祈願する「鹿島立ち」の文化も育まれました。



 日本三大楼門の一つに数えられているこの楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房により奉納されました。昭和15年の大修理の際丹塗りにし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。




 祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきました。その後、武士たちからも厚い信仰を得、武術も盛んになりました。その中には傑出した武術家も多く、代表的なのが塚原卜伝(つかはら ぼくでん)。宮本武蔵でさえ不可能だった生涯無敗を誇ったとされる無敵の剣豪です。


本 殿


本殿でお宮参りの親子












 国歌に「〜さざれ 石の〜」という一節がある。このさざれ石が鹿島神宮の境内にある。さざれ石は鹿島神宮に限らずあちこちの神社に祀られているそうです。
 さざれ石とは小さな石が集まり、その石の間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋め、一つの大きな岩になったものである。




 境内に30頭余の鹿が飼われている。
 鹿島神宮の祭神である武甕槌命(タヶミヅチノミコト)の
ところに、天照大神(アマテラスオオミカミ)からの使者が来て、「香取神社(千葉県佐原市)の祭神、経津主命(フツヌシノミコト)と共に出雲の国へ行って、大国主命に、出雲国を自分(天照大神)に譲るように説得してきなさい」とのことだった。
 この時の
天照大神の使者、天迦久神(アメノカクレガミ)は、鹿の神霊だったとされとされ、これに因んで、鹿島神宮の神使は鹿とされるようになった。そして、神社名(地名)も「香島」が「鹿島」になったと伝えられている。




 鹿島神宮境内の一番奥まった所に奥宮が建っている。
 現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。



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