第75日 9月14日(土) 雨後晴 走行106km 累計5,778km |
困った 道の駅「ちとせ」(千歳市) |
今回の旅も2ヶ月半になりちょっとばかり飽きてきた。本州の猛暑もピークを過ぎたのでそろそろ帰ろうと思い、苫小牧発大洗行9/15夕方のフェリーを予約したのは一昨日だった。
ところが、昨日夕方フェリー会社から電話がかかってきて、台風接近のため9/15の便は欠航になったとのこと。やむなく次便9/17夕方の便を再予約した。
困ったことは重なるもので、昨日夜からまたPCのメールソフトが機能してくれない。したがって、メールの送受信が全く出来ない。
また、以前にもお世話になった千歳のヤマダ電機へ行って、NHKのアナウンサー有働由美子似のサポート・スタッフにみてもらう。前回は簡単に回復してくれたのだが、今回は一寸ややこしいことになっていたようで、2時間ぐらいかかってようやく回復した。
難しいことは分からないのだが、時おりサイン・インの機能が停止することが原因だとのこと。完全に直すにはデータのバックアップをしてからリカバリーするのが良いそうだ。旅先でもあるし、私にはとても困難なことなので、帰宅してからリカバリーしてもらうことにした。 |
第76日 9月15(日) 雨 走行32km 累計5,810km |
インディアン水車 道の駅「えにわ」(恵庭市) |
千歳サケのふるさと館の裏に千歳川が流れている。ここにインディアン水車なるものがあって、早朝からサケ漁をやっていた。川にはヤナが組んであるので、サケはこの水車の部分を遡上せざるを得ない。サケが水車の籠に入ると、水力により回転し水揚げされる仕組み。この仕組みの発祥は北アメリカであるらしく、それでインディアンと言う名前になっているとのことだ。
これを見ていた男の解説。
「大きくなったら戻っておいで」と言いながら、小学生が稚魚を放流したのに・・・・・
これはサケにとっては一匹残らず獲られてしまう残酷な漁法だ。 |
インディアン水車の仕組み
第77日 9月16(月) 雨 走行10km 累計5,820km |
恵庭・拓望の像 道の駅「えにわ」(恵庭市) |
台風18号が北上中で、本州では行方不明者や死者も出たようだ。北海道も朝から雨で時おり降り方が強くなる。
昼過ぎに小降りになったので、恵庭開拓記念公園の中にある恵庭郷土資料館へ行ってみた。館内には縄文期の出土品や明治の開拓時代からの資料が展示してある。 |
公園の一画に右手を笠に手をかけ天を見上げる像「拓望の像」が建っていて、碑には次のように書かれている。
「明治18年わが郷土の先達は、はるかに馬追山からこの恵庭の平原を相し、酷寒にいどみ飢餓と闘い、心血をそそいで鬱蒼たる原始の巨木にいどみ、いばら多き原野を拓き、互に希望の火を漁川のほとりに焚き、百折不屈ついに今日の隆昌発展の礎石を築いた」 |
第78日 9月17(火) 快晴 走行81km 累計5,901km |
お土産 フェリー |
台風18号は中部地方に上陸し岩手県で太平洋に出て、北海道に再上陸することなく根室沖に去り、昨夜10時には満月が出ていた。
そして、今朝は台風が去った後の真っ青な空、こんなにきれいな青空を見るのは久しぶりである。
帰り支度を整えて長沼町マオイの丘へお土産を買いに行く。メイクイン・とうや・北アカリ・玉ねぎ・ホワイトレディー(とうきび)・ホッコリ(南瓜)、随分沢山買ってしまった。ホワイトレディーはお店のおねえさんの勧めで本店へと車を走らせて、朝どれを買った。
苫小牧港まで20キロほどの鶴の湯温泉で、北海道最後の温泉に入って北海道と「おさらば」だ。 |
苫小牧発大洗行 三井商船「さんふらわあ ふらの」
(さんふらわあは定刻18:45に苫小牧港を出港した)
隣の岸壁に入港していた「飛鳥U」 でかい
第79日 9月18(水) 晴 走行160km 累計6,061km |
帰宅 |
前夜18:45に苫小牧港を出港したさんふらわあ号は台風一過の穏やかな海を順調に航行して岩手県三陸沖で夜が明けた。2年半前にあの大津波が押し寄せたことなど想像出来ない穏やかな海です。 |
そして、福島県いわき沖で福島第1原発がはるかに見える。
その後も、さんふらわあ号は順調に航行して、
定刻14:00に大洗港に入港して、長い旅の終わりです。
あとは、川崎までの160キロ余を走るだけです。
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