津軽への旅

( 平成26年4月29~30日 )

 弘前城の桜が見ごろを迎えているようなので、妻と共に急遽弘前へ行くことにした。直前であったので、新幹線は予約出来たものの弘前市内のホテルはどこも満員だった。止む無く近隣を物色して五所川原のホテルをようやく予約出来た。
 ひと昔前に石川さゆりが「上野発の夜行列車降りときから青森駅は雪の中~~」と歌っていたが、わずか3時間ちょっとで新青森に着いた。奥羽本線に乗り換えて30分で弘前に着いた。

 弘前駅前は弘前城のさくら一色でバスはたくさん出ているが道路が渋滞しているそうなので、散策がてらお城まで20分ほど歩いて行った。



 弘前城の桜はごろを迎えていて、人出は大変なものでありどこもかしこも人で溢れており、天守閣に上がる列は蜿蜒長蛇の列で一時間待ちとのことでした。

 弘前城は天守閣真下の石垣が外側に膨らむ「はらみ」があり、石垣を修理することになった。その工事は今年の桜のシーズンが終わってから始まるのだが、天守閣を曳屋(ひきや)という手法で約70m天守閣を内側に移動して内堀を埋めてから石垣を修復する10年がかりの大規模なものだ。
 現在の姿で桜見物が出来るのは10年後なのでこの日が見納めということで、翌朝の新聞にはこの日の人出は30万人だと報じていました。



 弘前城のさくらを見てから、弘前の広崎さん(仮名)と落ち合った。広崎さんは九州へ旅行したときに大分や熊本で何回も出会った夫婦で、同年代で同じような旅行をしていたのでそれ以降お互いにメールのやり取りをしている人です。広崎さんは観光客があまり行かない隠れた名所を案内してくれて、ぜひ自宅へ寄るようにと誘ってくれた。私の妻は広崎さん夫婦とは初対面だったが同年配で共通の趣味があり、弘前さんの奥さんも昔東京でOLをしていたのでおおいに話が弾んだ。
 今日は五所川原のホテルを予約しているので広崎家を辞することにすると「五所川原まで車で送る」と言って車を出してくれた。そして、岩木山がよく見える所で車を停めてくれて
た。お蔭でシルエットの岩木山の写真を撮ることが出来た。その後さらに車を走らせて五所川原のホテルまで送ってくれました。


夕陽が落ちてシルエットになった岩木山



 翌日、津軽鉄道で金木への汽車は、冬はストーブ列車と名打った汽車だが、この時期は「走れメロス」のプレートを付けた汽車。
 ピンクの制服を身に着けた若いアテンダント(彼女たちは自らをそう呼んでいる)が、沿線の風景を津軽弁を交えて面白おかしく説明し、ついにはこの地の出身の歌手「吉幾三」の「津軽平野」を唄ってくれた。これが上手いと言うか何と言うか独特のモノ。でも、このアテンダントはなかなかの津軽美女でありました。




芦 野 公 園
 金木の一つ先の駅 芦野公園で下車。ここは桜の名所で、花見の客で賑わっていて桜のトンネルを通る汽車の写真を撮る人で大賑わいだ。


芦野公園駅に入ってくる走れメロス号



入線する走れメロス号を撮る人



芦野公園も桜が満開だ




芦野公園から金木町まで津軽の町並みと山村風景を見ながら歩いて行ったら、
途中にお寺があり境内の桜が満開だ




斜  陽  館

 小説「斜陽、人間失格、走れメロス」などを書いた太宰治の生家 津島家は津軽の大地主であり、太宰の父津島源右衛門は貴族院議員も務めた政治家でもありました。
 太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「父はひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである」と書いている。この豪邸も戦後になって津島家が手放して旅館「斜陽館」となり、その後平成8年に金木町が買い取り太宰治記念館「斜陽館」として観光名所になっている。










津 軽 三 味 線

 今回の津軽への旅の目的は弘前城の桜を見ることであったが、本場の津軽三味線の生演奏を聴くことも目的の一つであった。
 斜陽館の直ぐ近くに「津軽三味線会館」があり、ここでは一日に3回生演奏を聴くことが出来る。スピーカーを通さない正に生の演奏であり迫力ある30分間の演奏でありました。





 津軽三味線は津軽地方で盲目の旅芸人達が始めた門付け芸。彼らは坊様(ボサマ)と呼ばれ蔑まれていた。家々の軒先で三味線を弾き歩き、米やお金を貰って歩いたと言われている。やがて民謡の旅まわり一座などで轢くようになり、名人達の手によってより発展していく。
 昭和になって戦後の民謡ブームの頃「津軽三味線」と名付けられ全国に普及し、民謡の伴奏楽器から、三味線のみの独奏としても弾かれるようになっていった。
 
 津軽三味線は盲人芸なので本来は楽譜は無く、彼らは即興で演奏していた。同じ曲でも演奏者によって内容は違い、また、弾く度に内容が変わる。ジャズやブルースのようです。
 「津軽じょんから節」一つをとってみてもも演奏者によって構成が違う。そこが津軽三味線の魅力の一つだと言われている。(現在では譜面があります)
 演奏方法は、撥を皮に叩きつけるように弾いたり、掬ったりしながら、その合間に指で押したり、はじいたりしている。






 この後、津軽鉄道で五所川原に戻って、駅近くの立佞武多「たちねぷた」(tachineputa)の館で巨大なねぷたを見学した。
 青森では「ねぶた」(nebuta)、弘前では「ねぷた」(neputa)と呼んでいるが、五所川原のものは高さが25mもある巨大なもので夏の祭りでは市内を練り歩くそうだ。
 夏に市内を練り歩く立佞武多を見てみたいものだ。




 弘前城の桜を見て、金木で津軽三味線の生演奏を聴き、弘前で知人夫婦にも会うことも出来た充実の2日間の津軽への旅でありました。
 機会があったら、今度は季節を変えてまた津軽を旅してみたいと思っています。



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