函 館 要 塞


 (平成25年7月6日訪れる)


 観光客で賑わう函館山の山頂からほんの少し下った所に、明治時代から昭和にかけての要塞がある。
 函館山ロープウェイの駐車場に車を停めて車道を15分ほど下って行くと、ハイキングコースの入り口があり、これをほんの数分歩いて行き「要塞跡」の標識を辿ると朽ち果てた要塞の跡があった。   



右側の手すりの付いた石段を下って行くと入江山要塞が現れた(きれいに掃かれている)

  



 函館要塞は、明治28年(1895)の日清戦争終結後に日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛を目的に函館山に大小4ヶ所に砲台が建設されたものです。他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたが、函館要塞は商業港である函館港を守るために建設された。
 日露戦争開戦後津軽海峡でロシアの艦隊が日本の船舶に損害を与えたが、函館要塞の存在により函館港への攻撃はなかった。その後、大砲は撤去されたが、この要塞の存在により太平洋戦争のときもアメリカからの函館港への攻撃はなかった。 



更に石段を下って行くと 砲具庫 戦闘指令所
(ここでは、函館要塞全体の指揮所として連絡手段として電話・発火通信が用いられていた)


  



千畳敷戦闘指令所跡

  



千畳敷砲台砲座跡 

  



後方の塔は函館山山頂のテレビ塔アンテナ

  



 明治32年(1899)に要塞地帯法が制定されてから、太平洋戦争が終わり昭和21年に米軍によって要塞が破壊されて開放されるまでの47年の間、函館山への一般市民の立ち入りは禁止されていた。
 要塞があったことで、立ち入りが厳しく制限されていたことで、函館山の自然が守られた。現在では、数百種類の植物や野鳥が生息する自然豊かな山になっていて、函館市民のハイキングコースになっている。



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