ペ ル ー

平成17年6月に訪れたペルーの写真のページです。

L I M A

成田からロスアンゼルスまで10時間、飛行機を乗り継いでさらに8時間半、ようやく着いたのがペルーの首都リマ。
 リマは太平洋沿岸中央部に位置し、1535年にインカ帝国を滅ぼしたスペイン人ピサロが都をクスコから移した時が町の始まりである。ピサロはこの新しい町を当時のスペイン国王に敬意を表して王侯の都と名付けたが、街を流れるリマック川の名前がなまってリマと呼ばれるようになったようである。
 1996年に数ヶ月に及ぶ日本大使公邸占拠事件があったが、そのときの建物は塀のみを残して空き地になっている。現在の日本大使館は別の所に移っていて、高い塀と監視カメラと警護に守られていた。



アルマス(マヨール)広場
ペルーにはどこの町にもアルマスという名称の広場があるが、ここはマヨ―ル広場とも呼ばれている。
ピサロは都をクスコからリマへ移し、スペインの建築様式でアルマス広場を中心に町を築いた。現在もこの広場を囲むように古い建物が建っている。

大統領府
アルマス広場の正面に大統領府があるが、付近の警護は厳重であるし、正面入り口は衛兵が厳めしく立っている。(上段)

大統領官邸

ここも入口の警護は厳重だ。(中左)

カテドラル

アルマス広場と同様にどこの町にもカテドラルという名の寺院があるが、このカテドラルは1535年に建てられたペルー最古のものである。(中右)

市役所と中央郵便局(下段)

サン・マルティン広場

アルマス広場とともに、リマ旧市街地の中心になっている広場。広場の中央にペルー独立の英雄サン・マルティン将軍の騎馬像が建っている。

旧日本大使館 黄金博物館
ペルーの実業家が趣味で収集したピストルなどの武器、インカ時代の黄金、銀、銅製品が展示してある。
旧日本大使館
数年前の大使公邸占拠事件の時は、連日のようにTVに映った建物は取壊され、塀だけが残っている。


C U Z C O

クスコはリマから飛行機で1時間余、標高3400mの高地にあり、インカ帝国時代には首都として栄えた町である。
 インカはスペインの征服者によって山奥へ追いやられ、代わってスペイン人が造ったものはインカによって建設された石積みの上に造られている。


サクサワイマンの丘から眺めたクスコの街並み
中央にアルマス広場のカテドラルが見える。

サクサワイマンの城塞
インカ時代に軍事上の拠点として、1日3万人を動員し80年かかって造られたといわれる石垣城塞。三層に積み上げられた石垣は高さ約5mもある。こんな巨石をどこから運び、どんな方法で積み上げたのか未だに謎とされている。


タンボ・マチャイ遺跡

聖なる泉といわれ、インカ時代の沐浴場だったといわれている。

インカ人はサイフォンの原理を知っていたらしく、遠く離れた水源に湧き出した水を巧みに引いていて、今でも、石壁の間から常に同じ水量の水が流れている。

遺跡の直ぐ下に民芸品を売る女性が店を出していた。
インカ時代の人がどんな顔をしていたか知らないが、あたかもこんな顔つきだったろうなと思えるような女性であった。



サント・ドミンゴ教会

現在、サント・ドミンゴ教会となっている建物は、インカ帝国の時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿だった。
この教会はインカ時代に造られたインカ様式と、スペイン人が侵略後に造ったスペイン様式が混ざり合って出来ている建物である。(写真は中庭から撮ったもの)

インカの石材建築は「カミソリの刃一枚すら通さない」といわれる。接合財も使わずに寸分の隙間なく積み上げられたものは、何百年もの間ビクともせずにいる。


カテドラル
どこの町のカテドラルも同じような形をしているが、よく見ると異なる。ここのは完成までに100年かかったという。
夕闇のアルマス広場
広場の周りはカテドラル・レストラン・旅行会社・おみやげ屋などがあり、夕闇が迫り灯りが燈ったころがきれいだった。


MACHU PICCHU

マチュピチュは1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見された。


 クスコから汽車でウルバンバ川に沿って、100キロほど下ったアグアスカリエンテスから、バスで一気に400m登った標高2280mの山の上に遺跡がある。辺りは険しい山々で周囲は断崖絶壁、下からは見ることができない。
 
 マチュピチュの街は、神殿・宮殿・礼拝堂・道路・水汲み場・住居などの居住区域と、農業用のテラス・段々畑の農耕区域とに分かれている。




世界各地からマチュピチュを訪れた人で賑わうアグアスカリエンテス駅



P U N O

プーノはクスコから南へ約400キロ、バスで8時間のチチカカ湖の湖畔にある標高3850mの町

教会や学校のある大きな葦の島 チチカカ湖
アンデス山脈のほぼ中央に位置し、面積は琵琶湖の12倍もあり、湖の中央付近で隣国ボリビアと国境になっている。

ウロス島
トトラと呼ばれる葦を積み重ねて出来た島で大小合わせて40島ぐらいある。これらの島には合わせて約700人が生活していて、大きな島には350人が生活し教会や学校もある。

葦の舟
島と島を行き来するのは、葦を紐で縛り、これを束ねて造ったバルサと呼ばれる船。写真の船は観光用なのか双胴であるが、乗ってみると安定感があった。
葦で出来た島が浮いている

ウロス島に上陸
プーノからモーターボートで30分で島に到着。
島に上がって歩くとフニャフニャした感触で、土の上を歩くのとは大分感じが違った。

ウル族
島の人たちは、ウル族と呼ばれるインディオで、チチカカ湖に生息する魚や水鳥を獲り、トトラの畑で野菜を作って生活している。
島の女性たちは、葦の家の前で歌を歌いながら葦の舟のミニチュアなどの民芸品を売っており、子どもたちは我々にお菓子のおねだりをしたりしている。

ラ・ラヤ峠

クスコからプーノへは、8時間かけてバスで移動したが、ルート上の最高標高地点は4335m。

富士山よりも高所であるが、石垣の上に民芸品やアルパカのセーター(紛い物?)などを並べて売る地元の人がいるし、鉄道も走っている。

右下の写真の雪を被った山はアンデス山脈の6000mを超える山。

4000mを超えると、空気が薄くなっているのだろう。頭痛を訴える人が何人かいた。(高山病)



N A Z C A

ナスカはリマからパンアメリカンハイウェイを450キロ、標高620mの乾燥大地にある小さな町。

この町をはずれた所に紀元前後に地表に描かれた大きな絵がある。誰が何のためにどんな方法で描いたか諸説紛々、宇宙人が描いたという説まである。

絵の大きさは10mから大きなものは300mもあって、地上からはそこに絵が描かれていることが分からない。300個はあるといわれる絵の大部分は幾何学模様であるが、動物や植物の絵も30個ほどある。

左)「手」の絵
黒い地表の小石を取り除いて、明るい地肌を露出させることによって描かれている。溝の深さは10p、幅は20pぐらい(この写真はミラドールから撮ったもの)

右)幾何学模様の絵
左)左右に走っている線はパンアメリカンハイウェイ、道路脇下の黒い点はミラドール

右)ナスカの市街地 整然と区画されている。

セスナ機
4〜6人乗りのセスナが頻繁に飛び立つ。

ミラドール(観察やぐら)
やぐらの高さは約20mで、「手」と「木」の絵をみることが出来る。
パンアメリカンハイウェイの脇に建っている。

セスナ機の操縦士とコックピット
乗客に絵を見せるために、機体は右に左に旋廻を繰り返し、スリル満点だった。