ネ パ ー ル 見 聞 記

 
チャヒンダイナ
 観光地やその周辺を歩いていると、民芸おみやげ品の物売りが付きまとってくる。

 彼らは、我々が日本人だと分かるらしく日本語で「これ1,000円、安いよ」だとか「500円に負けとくよ」と、かなりしつこい。
 最初のうちは、「No thank you 」だとか、日本語で「いらない」と、応えていた。日本語の「いらない」は彼らには分からなかったようだ。
 「いらない」はネパール語では「チャヒンダイナ」と言う。そこで、ある時「チャヒンダイナ」と言ってみた。物売りは、「日本人が何でネパール語をしゃべるんだ」と、いった顔でキョトンとしていた。
 また、ある時は「I am Korean 」と言ったら、物売りは立ち去って行った。韓国人は、あまり無駄使いをしないということなのだろうか。
 
 


 
チベット難民

 ポカラの町から車で1時間、そこからハイキングコースを1時間ほど登った所が、ヒマラヤ山脈アンナプルナ山群の展望台カースキコット(コットは丘という意味)。残念ながら、あいにくの曇り空でアンナプルナはその姿を見せてくれなかった。

 丘への道すがら、チベット難民の集落がある。我々が歩き始めると、丘の上でみやげ物を売るために物売りが付いてくる。彼らは特に日本語を勉強したのでもないのだろうに、物を売るのに必要な日本語を覚えてしまったようだ。
 そんな中で、ひときわ日本語が上手な青年がいた。彼は26歳で、日本人相手のヒマラヤトレッキング・ガイドになるために、日本語学校で3ヶ月間勉強したとのこと。3ヶ月間の授業料が日本円で10,000円は大きな支出だったと嘆いていた。ネパールの物価はかなり安い。彼は、これからガイドになるための試験を受けると言っていた。
 

ハイキングコースの登り口 チベット難民集落の女の子 男の子 ルピーをねだられた
集落の家屋 かなりしっかりした造り 織物などのおみやげを売っている 織物を織る女の子(デモンストレーション)

 
ネパール人の親子

 ポカラ郊外のホテルに3連泊し、ホテルの周辺を散策したときのこと。

 畑の中の小川が流れている脇の農道のような道を歩いていると、おばあちゃん、娘、孫とおぼしき3人連れに行き会った。
  「ナマステ」(こんにちわ)・・・「ナマステ」
 「モ ジャパン バタ アエコ ホ」(私は日本から来ました)
 「タバインコ フォト キツナ サクツゥ?」(あなたの写真を撮ってもいいですか?)・・・にっこり笑ってOKしてくれた。
 撮ったばかりのデジカメの画像を見せてやると、身振り手振りで「欲しい」と、言う。僕も身振り手振りで、日本に帰ってから郵便で送ってやると言って、紙とペンを出して住所を書くようにと言った。でも、両手で「×」印を示した。

 このことをネパール人のガイドに話したら、娘の年齢から推し測ると字は書けるだろう。多分、郵便を受け取るハウスNoがないのだろうとのこと。
 ガイドは「画像に映った親子の印象から察すると、この人たちは一生のうちに自分の姿を写真で見ることなど度々あることではないと思う。」「私はポカラへちょいちょい来る機会があるので、この親子を探してみる。」ということで、帰国してからガイドあてに、この家族の写真を郵送した。
 この親子に写真が届いたら、きっとビックリするだろうし、喜ぶことだろう。
 
左側のおばあちゃんと孫は神妙な顔つきだったが、娘は微笑んでいた
後日談 この写真は3ヶ月後にこの親子に手渡された。



 
ネパール人のガイド
 ネパールでの6日間、ネパール人の美人ガイドが同行し、日本語で案内してくれた。
 彼女は日本語を話せるようになってから8年になると言っていたが、かなり流暢な日本語後方にうっすらとアンナプルナが見えたをしゃべってくれた。日本で東北地方や九州を旅したときに、土地の人が話す地方訛りの日本語より、ずっときれいな日本語だった。

 
旅行中に、日本食レストランで日本食を食べる機会があった。この日の昼食メニューはすき焼きだったが、彼女はすき焼きを食べないで別メニューのエビフライを注文した。
 話は脇にそれるが、ネパールでは牛は神聖な動物として大事にされている。これを食べるなどということはとんでもないことのようだ。パタンのある寺院では革靴を履いている人はスリッパに履き替えさせられた。
 さて、すき焼きのこと。日本食の食材は醤油を初めとして日本で食べるものと遜色なかったが、米だけは現地のもので、米粒が細長くパサパサしている。この米では寿司やおむすびは握れないだろう。
 
 


 
カリンボウ

 カトマンズでもポカラでも、バスの車窓から、男たちが「カリンボウ」というゲームに興じているのを度々見かけた。
カリンボウを教えてくれた青年と このゲームをポカラのホテルで教えてもらった。これはビリヤードのオハジキ版といったところ。1メートル四方の台の四隅に穴が開いていて、一定のルールの下に、オセロゲームのオセロのような円盤をオハジキのように指ではじいて穴に沈めるもの。
 やってみたら、これが意外と難しくなかなか思うように穴に沈めることが出来ない。指ではじくのにもルールがあって、親指と中指を支点にして人差指ではじかなければならない。
 大の男たちが寄ってたかってやっているので、お金を賭けてやっているのだろうと思ってたら、純粋にゲームを楽しんでいるとのことだった。
 


 
ポカラの酒屋さんで

その日の夜にホテルの部屋で飲むお酒がなくなったので、酒・タバコ・お菓子などを売っている小さなお店に買物に行った。その店には若い夫婦と男の子がいた。ワインを1本買ってから、しばし、ネパール語会話集を片手に男の子と会話。

 「タバインコ ナム ケ ホ?」(名前はなんていうの?)  「○○○○」
 「タバインコ カティ バルサ?」(何歳?)  「ダス」(10歳)
 父親はネパール語と共に流暢に英語もしゃべった。ところが、僕は英語の単語を並べるだけ。それでも何とか話をすることが出来た。
 店先でマイルドセブンに火を点けようとしたら、ネパールタバコと交換してくれと言うので、物々交換。ネパールのタバコはあまり美味くなかった。そんなことをしている時、お客さんが現れてタバコを3本買っていった。(3箱ではない)
 


 
レンタサイクルで街を散策
 

 ポカラで自由時間があったので、半日ほど貸自転車を借りて、地図を片手に街の中をあちらこちら走り回った。
 ポカラの街は、交差点が○○○チョーク・△△△チョークといった風に名前が付いていて道に迷うことはない。道路は舗装されているがかなり痛んでいて凸凹、さらにテロ防止のためか銃を持った兵士がいたる所で検問をやっている。
 交差点で地図を見ていたら、兵士が近寄ってきた。何か言っているのだがよく解らないので、I am Japanese traveler. と言ったら、どうということはなかった。彼らの持っている銃を至近でしげしげと見たら、素人目にも貧弱な銃だった。
 赤旗をかざした4〜50人の一団に出くわした。彼らは反政府団体のデモ行進で、一団の後方には30台ほどのバイクが警笛を鳴らしながら続いている。近寄ってカメラのシャッターを切るのはちょっと勇気がいるので、遠巻きに2枚ほどシャッターを切った。

 

デモ行進の先頭 デモ行進の後方の一団



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