エ ピ ロ ーグ 




 高山病に苦るしめられながらも、仲間やガイドのお陰でなんとか山頂に立つことができました。山頂から眺めた光景、氷河は日本では到底見ることの出来ないものであった。



 マラングゲートでチーフガイドから登頂証明書をもらい、キリマンジャロビールを飲みながら皆で歌った現地語のキリマンジャロの歌も忘れられない。意味は解らないが「キリマンジャロ」の部分だけを手拍子を打ちながら声を出していた。



 5日間の登山を終えて、5日前に泊まったマラングのカプリコン・ホテルに戻った。ここで改めて仲間と祝杯をあげて、しみじみ登頂の喜びをかみしめた。
 そして、ずっと持ち歩いていた横断幕にホテルの女性がサインをしてくれた。
 



 この後、この日はこのホテルに泊まり、翌日往路と同じ経路でナイロビへ行ってから、空路インド・ムンバイへ行って往路と同じホテルに泊まった。前回は深夜着早朝の出発だったが、今回は日中なのでタクシーの中からだったがインドの交通の凄まじさをかいま見た。



 ムンバイから乗った飛行機は、バンコックで給油のため2時間ほど駐機したが、空港を離陸するときの夜景はとてもきれいだった。
 その後、飛行機は順調に飛び翌日午前に秋晴れの成田へ着いた。


かくして、10日間に及んだキリマンジャロ登山の旅は無事に終えた。



キリマンジャロは遠かった 

 ふり返ってみるとキリマンジャロへの道のりは遠かった。
 1年ほど前に山仲間の友人から「キリマンジャロに登ろう」と声をかけられた。キリマンジャロは世界5大陸最高峰の一つであり、アフリカ大陸最高峰で富士山よりも2000mも高い山だ。日本100名山は90山を登ってはいるが、海外の山登りの経験はないし、岩登りの技術もない。でも、考えた。「俺ももう60歳、人生の折り返し点を既に過ぎている。残りの人生に悔いを残さないために登ってみよう」。そんなことから、キリマンジャロ遠征5人目のメンバーとして参加することにした。

 それからは、各々がネットや本で仕入れた情報を共有するために、毎月会合を重ねた。といってもお酒を飲みながらのことであったが、これが結構重要なことであった。

 今回のメンバーのうち私を除く他の4人は海外の山の経験者であり、ヒマラヤやヨーロッパの4000mを越える山に登っている。私は富士山より高い山に登ったことがない。そこで、キリマンジャロ行きが決まってから、脚力をつけるために時どき普段の生活で足首にアンクルウェイトをつけて歩いたりもし、休日には近場の山登りをしたりした。

 遠征のちょうど1ヶ月前に高度感を感ずるために5人で富士山に登って山頂で一泊した。これは高所訓練であった。富士山には何回か登ったことがあるが、富士山の登山シーズンが終えた9月上旬に、結構重いザックを背負って富士山頂を目指した。登山者が少なくなっている時期なので大きなザックを背負っているのは結構人目を引いたようだ。これはある意味では本番のキリマンジャロよりもきつかった。




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