宮 之 浦 岳

プロローグ
 林芙美子は「浮雲」の一節で、次のように書いている。
 「ここは、雨が多いンだそうですね。」「はア、一カ月、ほとんど雨ですな。屋久島は月のうち、三十五日は雨という位でございますからね・・・・」

 とにかく雨が多い所らしいので、出かける前に登山靴・ザックなどに防水スプレーを入念に吹きつけた。
 当初の予定では淀川登山口からの入山であったが、前日夜のミーティングでガイドから、天候状態を考慮し白谷雲水峡から入山し淀川登山口へ下山する旨が告げられた。この夜は一晩中雨が降っていたが、幸にも夜明け前には小降りになっていた。


白谷〜縄文杉〜新高塚小屋(1日目)
 午前6時、ヘッドランプの灯りを頼りにしとしと降る雨の中を登山の開始。1時間ほど歩いて白谷山荘に着くころには雨もほとんど上がっていた。辺りは大分明るくなりランプは不要だが、樹林の中の登路は未だ薄暗い。映画「もののけ姫」のモデルにもなったといわれる苔むした樹林を写真に撮りたかったのだが、あまりにも暗くてカメラに収めることは出来なかった。
 楠川分れからは安房森林鉄道のトロッコ道を進む。このトロッコ道は勾配4%でレールの中ほどに板が敷いてあって大変歩きやすい。トロッコ道を1時間、さらに40分ほど登路を登るとウィルソン株に着いた。この頃になると雨も上がり薄陽が差していた。

ウィルソン株
 ウィルソン株は1914年にアメリカの植物学者ウィルソン博士が発見し、海外にも紹介したという。株の内部は、畳10枚は敷ける空洞をもち、空洞になった株の中を清水が流れ、山の神も祀ってある。空洞の中から上を見上げると空が見える。この杉が伐採されたのは約400年前である。一説によると、豊臣秀吉が京都・方広寺を建立するために切り出されたという。伐採時の樹齢は不明だが、切り株の大きさから推定して、3000年を下ることはないといわれている。
 この後、大王杉、夫婦杉などの巨木の森の杉を見ながら進むと、屋久島の象徴ともいわれる縄文杉の前に出た。
 

縄文杉
 縄文杉は屋久杉を代表する古木であり、推定樹齢は7200世界最古の植物といわれている。一般に樹齢1000年以上のものを屋久杉といい、1000年に満たないものは小杉と呼ばれているそうだ。
 この杉は小杉谷の標高1300メートルの地点にある杉で、樹高30m、胸高囲16.4mもある。発見された当時(1966)は、発見者の名前をとって大岩杉と呼ばれていたが、縄文土器の火焔土器に似ているということからこの名前を付けられた。


新高塚小屋へ
 縄文杉を出発する頃からまた雨が降ったり止んだりするようになった。この辺りは石楠花の群生地帯である。本州では見られないような大木であり、初夏の頃の花の時期はきっときれいだろう。また、屋久島が南限といわれるヒメシャラはその幹の太さもさることながら、まるでワックスをかけて磨いてあるかのように光っている。
 縄文杉から1時間半程で小高塚岳南面鞍部にある新高塚小屋に着いた。しっかりした造りの2階建ての小屋で60人ほどが泊まれる無人の山小屋だ。この日はかなり混雑していて小屋前のテント場で幕営するパーティーも何組かいた。
 夕食を食べているとき、立派な角を付けた雄鹿が姿を現した。ヤクシカは本州や北海道の鹿と比べると体長がやや小さく毛色が濃い。 

 新高塚小屋〜宮之浦岳〜淀川登山口(2日目)
 午前6時の出発時は雨が降っていなかったが、1時間ほどで雨が降り出した。晴れていれば宮之浦岳や永田岳を眺めながら歩くところなのだが、一面の霧で何も見えない。

宮之浦岳
 新高塚小屋から3時間半、待望の宮之浦岳に着いた。山頂は二峰あり、1等三角点は西峰にあって標高1936m九州最高峰である。山頂一帯はヤクシマダケ(ヤクザサ)に覆われている。幸いにも雨は上がっていたが、相変わらず展望は利かない。晴れていれば、遮るものなく屋久島のすべての山が樹海の上に望める筈なのだが・・・・・






花之江河
 山頂から下り始めて30分もすると青空が出てきた。だが、宮之浦岳と永田岳は相変わらず雲の中でその姿を見せてくれない。
 翁岳や投石岳の巨岩・奇岩を見ながら下る。屋久島の岩は花崗岩で靴が滑らないので歩きやすい。また、木道がいたる所に敷かれ、急な箇所は階段になっている。
 途中、昼食を食べてゆっくりし、12時半に花之江河に着いた。湿原の背後に黒味岳を仰ぎ、標高1600mに位置する南限の泥炭層湿原が広がっている。湿原の中央に石の祠が奉ってあって屋久島山岳信仰の名残りを残している。



淀川へ下山
 花之江河から少し下ると高盤岳展望台がある。展望台からは枯存木の森を隔てて巨岩(トーフ岩)が眺められる。トーフのような形をした不思議な岩だ。
 モミ、ツガ、ヒメシャラ、ヤマグルマなどの大木が頭上を覆う道を下り、午後3時過ぎに淀川登山口に下山して2日間の山旅を終わった。
 2
人のガイドとツアー添乗員も入って総勢14人の記念写真はみんな満足気だった。
(2006.11.1920登る)


エピローグ
 この日の夕食は、屋久島特産の焼酎「三岳」を飲みながら多いに盛り上がった。そして、翌日はマイクロバスで島内観光をしてから夜遅い飛行機で帰宅した。
 初めてのツアー登山への参加だった。これまでこういった山登りをしたことがなかったので、知らない人とどのような山行になるのか、皆について行けるのか多少不安があった。ところが、これがものすごく楽しくて、ツアー登山を見直してしまった。
 参加者は同世代の男4人女7人。ほとんどの人が一人での参加だったが、和気藹々の楽しい4日間のツアーであった。ガイドが2人付いたのも良かった。2班編成にして、きめ細かくメンバーに気遣いしてくれ、植生の知識が豊富で詳しく説明してもらった。

 これで日本百名山は98山になった。残るのは北海道・幌尻岳と新潟県・妙高山。来年中には区切りをつけたいと思っているが、難関の幌尻岳はツアー登山に参加しようと思っている。(2006.11.1821ツアー)



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