# 6
屯田兵の孫 昔、高校時代に日本史の授業で屯田兵について学んだことがあった。明治時代初頭に北方警備と北海道開拓のために北海道各地に屯田兵の兵村が置かれていたが、札幌・旭川等各地に資料館があって、そこには当時の備品や写真パネルが展示されていた。そんな中でオホーツク海沿岸の湧別町の資料館の職員が厚岸に現在でもその兵屋が残っていることを教えてくれた。
老人は兵屋に入って内部を案内してくれ、彼の祖父が明治時代に屯田兵として入植した当時のことを話してくれた。老人のお爺さんが入植した頃はこの辺りは未開の原野であり、原野の大木を引き抜くのに木の根っこを馬に曳かせて引き抜いていたとそうだ。そして、大正生まれのこの老人も学校まで1時間かけて通い、明治・大正時代に開拓されたとはいえそれは兵屋の周りのわずかな範囲であったので、学校から帰ってからは原野の開墾をするなど過酷な少年時代を送ったのであった。昭和になってわずかな機械力が入り徐々に周辺は開墾されて耕地面積が徐々に増えていった。 昭和46年に厚岸町役場からこの兵屋を譲り受けたいとの話があり、老人はこの物置として使っていた元兵屋を町に譲り、厚岸町はこの兵屋を解体し、同じ場所に復元して北海道指定の有形文化財として一般に公開していて、老人とその家族が管理している。 |
2013,8,26 |
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