# 3
消えた町 北海道にはかっては賑わっていたが鉱山の閉山や離農で人が離れて無人になってしまった地区がいたる所にある。2010年夏にそんな中からにオホーツク海沿岸の消えた町を訪れた。 オホーツク海沿岸の紋別市街地から道道305号線を旭川へ向かって40キロ程走って行くと、原生林の中に大変大きな煙突が立っている。煙突は鉱山の精錬所の煙突だ。ここはかって鴻之舞(こうのまい)鉱山があった所で、道路脇には「鴻之舞鉱山跡」だとか「鴻之舞小学校跡」の碑が立っているだけで辺りには人は誰もいない。 ここから10キロほど紋別へ戻った所に「上藻別駅逓資料館」がありその一画に「鴻之舞鉱山資料館が併設されているので行ってみた。父親が鉱山で働いていたという初老の男性がいて詳しく教えてくれた。 大正時代初頭に鴻之舞で金が発見され、その後大正6年に住友金属工業が本格的に金や銀の採掘を始め、鴻之舞はゴールドラッシュに沸いた。最盛期には従業員4,600人、15,000人もの人が住み、市役所出張所、小中学校・郵便局・病院などがあり、そして映画館やパチンコ屋さらに遊郭もあったそうだ。 もう少し話を聞きたくて翌日再度鴻之舞資料館に行ってみたら、別のボランティアガイドの男性がいて、道道から奥に入るカギを開けて原生林の中を案内してくれた。原生林には鉱山の入り口や精錬所の朽ちた建物や幹部社員の住宅が残っている。ガラス越しに見た社員住宅には昭和の雰囲気が感じられるちゃぶ台などの調度品が残っている。この辺りにはこんな建物が10数棟あったが1棟だけを残して他は全部撤去したとのことだ。 あんなに栄えた鴻之舞も、昭和40年代になると金・銀の採掘量は徐々に減少し、ついに昭和48年に鉱山は閉山して、人々は皆この町を去り町は無人になって、町はゴーストタウンと化した。 その後、住友金属は道道30号線沿いの会社の建物や学校・住宅など建物を全て撤去した。残されたのは大きな煙突と「鴻之舞鉱山跡」、「鴻之舞小学校跡」の碑と「喜楽町」、「金竜町」、「栄町」などの町名の立て札がたっているだけである。 そして、50年が過ぎて鴻之舞は元の原生林に戻り、町は消えた。 |
2012,7 |
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