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旧樺戸集治監(月形町

札幌の北20キロに月形町という町がある。

明治14年、現代日本創世の頃、佐賀の乱(明治7年)、萩の乱(明治9年)、西南戦争(明治10年)など多くの内乱が発生した。 明治政府はこれらの内乱で逮捕した人たちを国事犯・反乱分子として隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めた。

こうして、アイヌ人たちが「シベツブト」(川が合流する地点)と呼んでいた現在の月形町に北海道で最初の集治監(刑務所)・「樺戸集治監」が造られた。 ここは背後にヒグマが生息する樺戸の山々があり、前面には石狩川が流れる逃亡不可能な自然の要塞だった。
集治監は現在では同じ場所に再建されていて、見学できた。

初代典獄(現在の所長)は月形潔で、この人の姓からこの町の町名が生まれた。 

囚人は未開の地であった原野を開墾し現在の月形町の礎を造った。 だから国は作業中に亡くなったり獄死した囚人を手厚く葬っている。

集治監から車で10分ほど走った町はずれに篠津山囚人墓地があった。 ここには、集治監が廃監されるまでの39年間に死亡した1022名が眠っている。

墓石の戒名には樺戸集治監の「樺」の一字が彫られている。そして、墓石の裏面には、俗名・没年・没年齢も彫られている。

墓石が設置されてからかなりの年月を経ているが、よく手入れをされていることがうかがえる。

 
2013,7,14
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