# 24        

花沢

JR東海道線焼津駅前からバスに乗って15分、高草山石脇入口で下車して、少し傾斜のある道を30分ほど歩くと花沢の里に着いた。

花沢は焼津市の北方の山間部の谷戸にある30戸ほどの集落である。三方を山に囲まれ、小さな川に沿って道路沿いに集落が形成されていて、長屋門を持った黒色の下見板張りの家屋が連なる独特の景観を示している。裕福そうな集落で、大きな主屋、長屋門や付属建物も全て黒板貼りの景観は見事なものであった。

花沢の集落は文化財保護法により「伝統的建造物群保存地区」に指定されている。これらの建物群と、これらと一体になっている周囲の環境を保存するため、平成26年に都市計画決定並びに保存計画が告示された。保存地区面積は約19.5ヘクタールで、花沢、吉津(よしづ)及び野秋(のあき)の一部を含み、総称して花沢と呼ばれる範囲です。

つい先年までは林業、ミカン、お茶の栽培などを生業としていたが、特に明治後期には、輸出用のミカン産地として大いに栄え、ミカンの収穫期に雇用した人々の宿泊施設として、このような構えの農家住宅が形成されていったという。 

集落の一番奥の一段高い所に天台宗の古刹「法華寺」が建っている。創建年代はよく分からないが、奈良時代に造られた国分寺尼寺が起源であると伝えられている。16世紀後半に武田氏の軍によって焼かれ、その後、無住となった時期もあったが、現在は本堂と仁王門を中心とした小さなお寺です。

境内に小さな祠 乳観音が建っている。祠の脇に由来が書いてあり、そこには次のように書かれてありました。


むかし隣村の嫁が乳の出が悪くて悩んでいた。毎日赤児を抱いて神仏に願かけをして歩いたが効きめがない。ある日のこと、法華寺の門前で祈っていたら、大木の幹から光を発し観音さまが現れ「そなたの願いを叶えて進ぜましょう」とお告げをいただいた。

嫁の乳はその晩からあふれるように出がよくなり、赤児は村一番の元気な子に育ち、このことが近郷近在に知れわたり大評判になった。

以来法華寺は乳観音を祀り、近郷近在の母子に慕われ訪れる人が絶えない。


一通り集落を見て回って写真を撮ってから公園のような広場で、あらかじめ持参した飲み物と軽い食べ物で休んでいると、毛並みの良い柴犬を連れた散歩の女性が話しかけてきた。この女性は子どものときにはこの集落で過ごしていたが、今は消防士の夫、息子と焼津の市街地に住んでいて、連れ合いを亡くして一人住まいしている父親の様子を時どき看に来ているとのことだ。 

この辺りの若い人は街へ移ったり働きに出る人が多くなり、花沢はすっかり年寄りの集落になってしまった。私が子供の頃は学校まで1時間近くもかかって通学したが、今の子は天気が悪いと親が車で送って行っている。

ひとしきり、そんな話をして女性は父親の様子を見に戻って行った。

焼津へ戻るバスに乗るために歩き始めたら車が停まった。先ほどの女性だった。焼津へ戻るから乗っていきませんかと言って駅まで送ってくれた。 

後日、私のHPの [花沢] を 見てくれた女性からメールがきて、そこには次のように書いてあった。【 HPの写真を見て、私の生まれ育った花沢はあらためて良い所だと思いました。これからは良い所だと自慢したいと思います。 】
                                   平成27年3月

 もくじに 戻る