# 16          

震災ボランティア

2011311日に発生した東日本大震災は、観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、地震と津波で多くの犠牲者が出ている。さらに、追い打ちをかけるように福島の原発事故が起こり、被災地は大きな被害に見舞われています。
 地震発生からちょうど1ヶ月経った411日から3日間、車にキャンプ用品一式、食料、水20Lを積んで宮城県多賀城市へボランティアに行った。

 実際に目にした光景は目を覆うばかりであり、まさに自然の力の前には人間は無力であることを思い知らされる光景です。幹線道路は車の通行に支障を来たす瓦礫を道路際に除けてあるが、それでもいたる所で交互通行になっているし、生活道路は未だ瓦礫の撤去が進んでいない。

 多賀城駅近くに設置されたボランティア専用駐車場には東北地方だけでなく北海道・関東・関西・四国など遠方ナンバーの車やバイクも停まっていて、その脇には彼らのテントが張ってある。ボランティアの多くは若者だが、シニア世代も何人かいる。ボランティアは車内やテントで寝泊まりし、食事も持参したカセットコンロ・コッフェル・レトルト食品で自炊しているが、なかには車用のガソリンを持参している人もいた。 
 ボランティアにはいろいろな人が来ているが、1日目は高校生のグループと一緒だった。 市内在住だが、高台に住んでいるので津波の被害に遭わなかった4人の男女。女の子も長靴を履きゴム手袋をはめて、男の子と一緒に泥水に濡れた重い畳を運び出している。この若者達がこれから何年もかかるこの街の復興を支えていくのだろう・・・・・。

 自衛隊は、予備自衛官や退役したOBを含めて10万人規模の活動だと報じられているが、3日目には私と同年代の自衛官OBと一緒のグループになった。彼は、「私は歳をとっていて自衛隊としての活動が出来ないので、個人的にボランティアに来た」と言っていた。彼のキビキビした行動は、さすが元自衛官と感じたところです。 

 市役所に設置されたボランティアセンター(VC)ではボランティア57人を1グループにして、VCに依頼があった家までワゴン車で送り迎えしている。シャベル・モップ・バケツ・バールなどを車に積んで被災家屋へ向かう。

 水を含んだ畳は2人がかりでやっと運び出せる重さであり、タンスは重くびくともせず、水でふやけた引出しを引くことも出来ない。持参したバールで引出しをこじ開けると、泥水を含んだ衣類はグッショリと濡れている。冷蔵庫や洗濯機の運び出しも足元が不安定なので、結構難儀な作業だ。冠水時に流れ込んだ土砂はヌルヌルしていて、これをモップで寄せ集めてスコップでバケツに入れて屋外に運び出す。

 被災者はあらかじめ運び出すものをチェックしている。その要望どおりに家財を運び出して一通りの作業を終えてから、終了した旨をVCに電話をかけると、ほどなくワゴン車が迎えにきてくれた。 

 未曽有の大災害に全国の自治体が支援活動をしている。横浜市は災害復旧支援隊としてごみ収集車10台が仙台に向かって走っている。そして、神奈川県警は信号機が冠水して機能しなくなった交差点で交通整理をしている。

 自衛隊は様々な車種の車両を派遣していて、多賀城駅近くの広場では沖縄から派遣された第15旅団が被災者用に風呂を沸かしている。この隊は仙台港が被災していて入港出来ないので東京有明埠頭に入港してから陸路で宮城県入りしている。被災者用の風呂だが、「ボランティアの方もどうぞ」と言うので入ってみた。ボディーソープやシャンプーそしてシャワーも備え付けられていてちょうど良い湯温でありました。

 平成23年4月

 もくじに 戻る