ポカラの郊外で

 ポカラはネパールの首都カトマンズから国内線の飛行機で30分のネパール第2の都市で、ヒマラヤのアンナプルナ(8091m)山群を間近に眺める人口40万人の町です。

 20062月 ポカラ郊外のホテルに3連泊して、ホテルのレンタル自転車を借りて地図を片手に町を散策した。ポカラの街は交差点が〇〇チョーク・△△チョークといった風に名前が付いているので道に迷うことは無い。道路は舗装されているが車道にはハンプが施されているので車は嫌でも減速する。そして、テロ防止のためかいたる所で銃を持った兵士が検問をやっている。

 交差点で地図を見ていたら兵士が近寄ってきて、何か言っているのだがよく分からない。「I am japanees toraveler」と言ったらどうということは無かった。彼らの持っている銃を至近で見たら素人目にも貧弱な銃だった。

 お菓子や酒・タバコを売っている小さなお店に入ってみた。その店には若い夫婦と男の子がいた。ワインを1本買ってからネパール語会話集を片手に男の子と会話。

  「タバインコ ナーム ケホ?」(名前はなんていうの?)・・・・ 「〇〇〇〇」

  「カティ バルサコ フヌボ?(何歳ですか?)・・・・  「ダス」(10歳)

 父親はネパール語と共に流暢に英語もしゃべった。店先でマイルドセブンに火を点けようとしたら、「ネパールのタバコと交換してくれ」と言うので物々交換。ネパールのタバコはあまり美味しくなかった。

 そんなことをしているときにお客さんが来てタバコを3本買っていった。 (3箱ではない)
 

 ホテルの近くを流れる小川の脇の道を進むと、やがて建物が疎らになり畑が広がってきた。さらに農道のような道を進むとおばあちゃん、母親、孫と思しき3人連れに行き会った。

 「ナマステ」(こんにちは)と言うと、親子は「ナマステ」と応えてくれた。

 身なりや、足元を見るとゴム草履のようなものを履いていて、生活はちょっと貧しそうだ。孫に持ち合わせのお菓子をあげると、「ダンニャバード」(ありがとう)と言って美味しそうに食べた。

 「モ ジャパン バタ ガエコ」(私は日本から来ました)と言うと、私のたどたどしいネパール語が通じたようで、おばあちゃんと娘がうなずいた。

 「タバインコ フォト キツナ サクツウ?」(写真を撮ってもいいですか?)  娘がにっこり微笑んでOKしてくれた。

 撮ったばかりのデジカメの写真を見せてやると、身振り手振りで「欲しい」と言う。私も身振り手振りで「日本に帰ってから郵便で送ると言って、住所を書くようにと紙とペンを差し出した。でも、娘が両手で「×」印を示した。                 

 ホテルに戻ってから、このことをネパール人のガイドに話したら、「娘の年齢から推し測ると字は書けるだろう」 「多分、郵便を受け取るハウスNoがないのだろう」とのことだ。

 ガイドは「写真に写った親子の印象から察すると、この人たちは一生のうちに自分の姿を写真で見ることはめったにあることではないと思う」  「私はポカラへは度々来るので、今度来たときにこの親子を探してみる」と言うので、帰国してからガイド宛てにこの親子の写真を郵送した。 

 それから3ケ月が過ぎてガイドからメールが来た。メールには「ポカラに2回目に訪れたときに親子を探し出して、写真を手渡したら大変驚き、そしてとても喜んでいた」と書いてありました。

 
2006,2

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