軍 艦 島

 ロシアが侵攻したウクライナのニュースを見るたびに、ミサイル発射で破壊されたキーウの高層住宅の映像を見ると軍艦島の朽ちた住宅を思い出す。 

 長崎半島の沖合4.5kmに浮かぶ端島(はしま)は南北480m、東西160m、周囲1.2kmの小さな島でその外観が軍艦に似ているので軍艦島と呼ばれている。

 端島は1800年代初頭に端島で石炭が発見され、その後明治23年(1890年)に三菱が島全体と鉱区の権利を取得して本格的に石炭の発掘が開始された。そして、石炭の出炭量は徐々に増加するとともに島は急成長し、昭和35(1960)には5,300人もの人が住むようになった。当時の人口密度は日本一で東京の人口密度の9倍と言われるほどになった。  島内には病院や学校・病院・神社・学校・映画館などが建ち並んでいたが、建物と建物の間は大変狭かった。 

 繁栄を極めた端島だったが、出炭量の減少とともに国のエネルギー政策が石炭から石油に移ったこともあって、昭和49年に端島鉱山は閉山した。そして、この年全ての住民が島を離れそれ以降端島は無人島になった。明治の頃から海底炭鉱として栄え最盛期には5,300人もの人が住んでいたが、石炭の採掘量の減少により炭鉱は閉山し現在は無人の島になっている。 

この島に2012年5月に長崎港から「軍艦島コンシェルジュ」と書かれた大きなクルーザーに乗って30分で軍艦島に着いた。上陸する前にクルーザーは島の周りを一周して、ガイドが廃墟と化した建物をあれは鉱夫の居住区だとかこの建物は学校だとか病院だとか説明してくれる。

 島に上陸したが、建物が老朽化していて崩れそうで危険なので僅かな範囲しか近寄ることが出来ない。

軍艦島を離れるとき、クルーザーは島の反対側に回ってくれた。ちょうど陽が傾きかけている時で、逆光気味で撮った写真はまさに軍艦のようでありました。

 詳細 ⇒ 軍艦島 (sakura.ne.jp)

1012,5,18

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