山登り   

日本百名山

 日本百名山は、登山家でもある作家 深田久弥が日本全国の山の中から100の山を選んだものである。登山愛好者のあいだではこの100の山を登るのが静かなブームになっている。

 平成19年秋、100番目の山 新潟県妙高山に登って日本百名山完登を果たした。北海道利尻島の利尻山から九州屋久島の宮之浦岳までの100の山に登るのに40年かかった山歩きでありました。
 

妙 高 山 

妙高山頂の標柱 妙高山(2454m)10年程前の6月、残雪が多いため敗退している。今回は2回目の挑戦であり、記念すべき百名山100番目の山である。

 前日夕方、一緒に登って100山登頂を祝ってくれる山登りの仲間7人が、登山口 笹ヶ峰に集まってくれた。この夜は駐車場脇の草地にテント泊まり。10日程前に患った帯状疱疹が未だ完全には癒えておらず体調は万全ではないが、まあ何とかなるだろうと高をくくっていた・・・

 未明に笹ヶ峰登山口から山頂目指して歩を進める。秋晴れの素晴らしい天気である。これまでに登った99の山登りが思い出される。ニホンタンポポや99の山それぞれに思い出があり、一緒に登った仲間の顔が浮かんでくる。

 山頂まであとわずか1時間という所で、どうにも調子がよくない。前夜の前祝いのお酒が災いしたようだ。ついに山仲間KSにザックを背負ってもらうことになってしまい、彼の励ましでやっと山頂に辿り着いた。たいした山ではないと思っていたのだが、100番目の山は思わぬ苦戦であった。

 たまたま居合わせた登山者とワインで乾杯山頂では、先行した仲間が待ちくたびれて乾杯の予行演習をしているところだった。セレモニーはまずワインで乾杯、次いで山頂標識の前での記念撮影。山頂は多勢の登山者で賑わっていて、時ならぬセレモニーは人目を引いたようだ。未知の人からの祝福を受け、一緒に写真に写ったりして、ちょっとしたスター気分。

 この山行には知人が作ってくれた記念の横断幕を持ってきていた。この横断幕に祝福のサインをしてもらう。この様子を見ていた見知らぬ登山者も祝福の言葉を書いてくれる。書き終わった人に「振舞い酒」だと言って我が山仲間がワインを注いでやる。

 この日の夜、赤倉温泉の宿での宴会は多いに盛り上がった。 (平成19107日登る) 

               名山完登までの歩み
山登りを初めた頃のこと

 百名山 初めての山は、大学2年の昭和385月に大学の同級生TA君と登った雲取山だった。TA君は同級生だが3歳年上で郷里が石川県だった。彼は高校生の頃から白山や北アルプスに登っていたが、私はハイキング程度の山歩きをしたことはあったものの、2000mを超す山は初めてであり山小屋に泊まったのも初めてのことだった。

 その翌年、二人でテント・食料を背負って7泊8日 塩見岳〜白根三山〜仙丈岳〜甲斐駒ケ岳の南アルプス大縦走をやった。この頃のテントは帆布製の屋根形テントで設営も手間がかかり、雨に合うと水を含んで大変重く、ザックもキスリングと呼ばれるもので、パッキングをおざなりにすると背負いにくいものであった。

 会社に勤めて3年目の夏に初めて北アルプスへ行った。北アルプスの入門コースともいわれる表銀座コース燕岳から槍ヶ岳に登り上高地へ下る予定で出かけた。ところが、天気の良さと山の素晴らしさに惑わされて、無謀にも槍ヶ岳から穂高へ向かってしまった。岩場を登ったり下ったりしてなんとか北穂高岳まで辿り着いたが、ここからの大キレット越えは本当に苦しく怖くさえあった。

 このころ、百名山のことを知ってはいたが、全部を登るなどということは夢のまた夢のようなことであった。でも、深田久弥著「日本百名山」はその初版本を入手していた。

 

百名山を意識し始めた頃のこと

 人並みに家庭を持ち子供が小さい頃は、夏休みの子供を連れての家族旅行は山登りであった。尾瀬戸倉の民宿に一晩泊まりそこに車を置いて、尾瀬の山小屋に一泊してから再び戸倉の民宿に泊まる。尾瀬が白馬に代わることもあったが、これが我が家の夏休みの過ごし方であった。

 子供が親離れした平成2年頃からは、毎年9月中旬に1週間の休暇を取って東北地方を旅行した。大まかな計画は立てるが、車にテントなどキャンプ用具と登山靴を積んで気ままな一人旅であった。この頃登ったのが飯豊山や朝日岳・岩手山だが、いずれも夏の登山シーズンから外れているのでどこの山も静かだったが怖い思いもした。

 ある時、会社の後輩(山は先輩)TU君から、「百名山を目指しているのか?」と聞かれた。そんな意識はまったくなかったのだが、数えてみたら50山近く登っていて、その気にさせられてしまった。

 残っている山を見てみると、本州中央部に未踏の百名山が大分ある。これらはその気になればいつでも登れるのだが、北海道や九州・四国の山はおいそれと出かけられない。

 TU君はひそかに百名山を目指しているらしく、彼が九州や四国など遠方の山へ行くときは同行した。

 

百名山完登の最終章

 会社を定年退職するまでに86山登っていて、残りは14山になっていた。大半は北海道の山であったが、これは退職後の楽しみに残しておいたようなものであり、9山を一気に登ろうと考えていた。

 定年退職して2年目の夏に思いがけず一ヶ月間の自由な時間が出来た。平成178月末、登山用具・キャンプ用具などを車に積み、北海道の遠さを実感するため、わざわざ東北道を走って行った。(帰りは苫小牧からフェリー)

 道南・道央の山を登ってから時計回りに道北・道東を巡って最後に日高の幌尻岳を登る計画だった。8っ目の阿寒岳までは順調に登ったが、渡渉をしなければならない幌尻岳は、沢水が冷たくなっていて、さらに沢が増水していて、残念ながら登ることが出来なかった。

 北海道の8山を制したところで残りは宮之浦岳・幌尻岳・妙高山の3山になった。

 宮之浦岳と幌尻岳はどちらも遠方であり、交通の便等を考え旅行会社のツアー登山に参加することにした。ツアー登山は初めてのことだったが、メンバーに恵まれて楽しい山登りであり、ツアー登山を見直してしまった。

 近場の妙高山を100番目の山にしたのは前記TU君の助言で、山仲間と一緒に登って「山頂での万歳」をするためであった。



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